12月2日未明、最愛の父が天国へと旅立ちました。
ですので、生前、父から託された長女が
最後こちらのブログを締めくくらせていただきます。
父の最期を一言で言うなら、
最後の最期まで、家族との時間を大切に過ごしてくれました。
幸い、脳への影響が及ぶ前だったので、意識や記憶は残っていたのだと思います。
たとえ、
体が動けなくなっても、言葉を交わせなくなっても、目が開けられなくなっても、
家族や親族、お医者さんや看護士さんの呼びかけには、
力を振り絞って、声を出してくれたり、頷いてくれたり、
時には手を振ってくれたり、ピースサインをしてくれたりと、
出来る限りの反応を示し、周囲を楽しませてくれました。
以前のブログ記事で
「最期はにっこり笑ってハイチーズで」と表明していましたが、
直前まで何度も手を動かしてはいたものの、
惜しくもピースサインはできずでした。
ですが、
父の最期のたった1つの
「なるべく痛みで苦しむことなく、日々安らかに過ごしたい」という願いは、
私たちに見守られて幸せそうな父の最期の表情から、
残された遺族にとって「父に出来る限りのことは尽くせたのかな」と
少しだけ慰められました。
ただ、
父の病気との闘いや苦しみは、私たちには計り知れないものでした。
火葬場での父との無言の再会では、膝から下と、脳以外のほとんどの部分は、
癌で酷く侵されていたことを証明するかのように、変色していました。
「もう苦しみながら頑張って食事をしない」と決意しながらも、
毎夜、簡易ベットで寝泊りしていた私や家族たちを気遣ってなのか、
数日間は必死に食べ物を口に運んでいたこと。
夜、音が聞こえない、電気を消した真っ暗の部屋で、
一人きりでは眠れない程、不安や恐怖でいっぱいだったこと。
「最期は家族が側にいてほしい」
そのことを、嫁いだ娘や家族にはなかなか話せず、
一人でずっとさみしさを抱えていたこと。
日頃からとても我慢強かった父は、
苦悩や葛藤とずっと闘っていました。
病院での最期の時間を共に過ごさなければ、
情けないことに、そのことにさえ、
気付くことができなかったような気がします。
本当に最後の最期まで、強くて、面白くて、家族想いの優しい父でした。
最後になりますが、
同じような病気を体験されている患者さんやご家族のため、
また父からの想いを引き継ぐためにも、
このままこのブログを遺しますので、
必要なときに、またぜひ覗いてみてください。
そして、あなたの大切な人と、穏やかな楽しい日々を過ごせますように。
死を意識した患者さんにとっては、
私たちが当たり前にあると思い込んでいる
「明日」や「未来」の約束よりも、
たとえささいなことでも、
「今」「ここ」にある
確かな時間を共に過ごせることの方が、
何より大切で幸せなことなんだなということを
身を持って実感いたしました。
最愛の父との早すぎるお別れは、とってもさみしいですが、、
たくさんの思い出や、父が遺してくれたものを
力に変えて、家族一同共に歩んでまいります。
最後までこちらのブログにお付き合い下さり、
本当にありがとうございました。
2016年12月11日日曜日
2016年11月21日月曜日
最後の投稿を致します
とりあえず、最後の投稿を申し上げます。
臨終に向かって、自由気ままで痛みや不愉快なことは取り除く、という臨終プログラムを主治医の先生をはじめ、看護師の皆さん、リハビリの先生、栄養士の方、皆さんよく理解していただきました。リハビリの先生は、マッサージのあと、「これから意識も薄れて会話も出来なくなるかもしれません。でも意識は残っているので、そのために顔のマッサージは続けてもよいですか?」と言ってくださった。「かまいません。おおいにお願いします。臨終のとき”にっこり笑ってハイチーズ”で終われるようお願いします。」とお答えした。
今後起き上がってこのブログを書くことが困難になるでしょうから、早めにこのブログ閉じます。そして最後のことは娘が報告するよう、お願いしておきます。それまで数週間、あるいはそれ前後かわかりませんが、時折開いてみてください。
それでは皆様、『前立腺がんと共に生きる日々』にお付き合いくださいましてありがとうございました。
臨終に向かって、自由気ままで痛みや不愉快なことは取り除く、という臨終プログラムを主治医の先生をはじめ、看護師の皆さん、リハビリの先生、栄養士の方、皆さんよく理解していただきました。リハビリの先生は、マッサージのあと、「これから意識も薄れて会話も出来なくなるかもしれません。でも意識は残っているので、そのために顔のマッサージは続けてもよいですか?」と言ってくださった。「かまいません。おおいにお願いします。臨終のとき”にっこり笑ってハイチーズ”で終われるようお願いします。」とお答えした。
今後起き上がってこのブログを書くことが困難になるでしょうから、早めにこのブログ閉じます。そして最後のことは娘が報告するよう、お願いしておきます。それまで数週間、あるいはそれ前後かわかりませんが、時折開いてみてください。
それでは皆様、『前立腺がんと共に生きる日々』にお付き合いくださいましてありがとうございました。
2016年11月19日土曜日
一時帰宅の予定が・・・
入院して2週間ほど経過するとまた体調も戻ってきた。食事も柔らかめのご飯が飲み込めるようになった。そろそろ退院に向けて一時帰宅を試してみようかと、注射による投薬を飲み薬にかえ、自宅で過ごせるよう切り替えて、1日それで様子を見て問題なければ1泊くらい帰宅する予定だった。でも急きょできなくなった。
翌日なぜかしんどくなって起き上がれなくなり、食事も起き上がるのがつらくて昼食も夕食もパスした。これでは外泊は無理と中止になり、投薬も前の方法に戻してもらった。採血をして血液検査の結果、ヘモグロビンの濃度が6.3と下がっていて貧血の症状かもしれない。また輸血をしてみますか、と問われる。
ヘモグロビンは前回の輸血のあとで6.7だった。これまでの輸血の経験で、7前後の数値であればめまいなどの貧血の症状は大丈夫だが、6近くや6を下回れば貧血の症状になると経験している。輸血も何回も繰り返せるものではない。副作用でカリウムの数値が上昇すると深刻な症状が起きる事も聞いている。今回を最後の輸血と決めてお願いすることにした。
そしてまた、苦しくてしんどい状況の中で最後の輸血にしようとおもったとき、重大な決意が浮かんだ。「もうこんなつらい思いをしながら耐え忍ぶのはやめにしよう」と。緩和ケアの最後のプロセス”臨終へのプログラム”をお願いしてみようと。(”臨終へのプログラム”は私の勝手な名称付けです)
再び元気を取り戻して自宅で療養するために努力するのは止めよう。食べなければいけないと、いやいや食べていた食事、食事の時間が来るのが嫌だった。ふらつきながらしんどい思いで食べるのは止めよう。ジュース類など楽に流し込めるものならいつでも好きな時に口にできる。自宅での生活で少しでも動けるように、リハビリで歩くことをしましようね、と熱心に付き合ってくださっているリハビリの先生、気が向かなければはっきりとお断りしよう。排泄物の世話も看護師さんが親身になってお世話してくださる。申し訳ない気があり、できる範囲で自分でこなそうという気があったが、捨てよう、なんでも遠慮なく頼んでやってもらおう、など努力は捨てよう、と思い直したとき、ものすごく気が楽になった。
、、、
明け方まで”それって投げやりから来るのかな、しんどさの回避からくるのかな・・それはある・・正しいことなのかな、”、、、などなど自問してみるが、”今後努力したってささやかな延命にしかならない。それなら気持ちを切り替えて臨終目指して日々を過ごすほうが楽じゃないか、そうしよう”と決めた。
見回りに来られた看護師さんに、”こんな思いに至りましたので、担当医の先生に伝えてください”とお願いし話を聞いてもらった。先生は「医師として患者の寿命を短くしたり伸ばしたりする操作はできないが、尊厳は守ります」と答えてくださった。”尊厳は守ります”という言葉に嬉しさと安堵がわいてきた。
ということながら、さて具体的にどう変わるのかと問われれば、今まで通りの日々を過ごすだけ、です。ただしんどい思いの努力はしない、出来ないことは遠慮なく看護師さんに甘えて従う、だけです。そういった日々の中で、たった一つの願いは、悪化していくことによる痛みや苦しみに対処していただいて、日々安らかに送らせてほしい、そのことだけです。
改めて担当医の先生と妻とも病室で話し合ったし、兄や妹にも大事な話がある、と来てもらって伝えた。輸血のおかげで今は少し元気を取り戻している。これから臨終へのプログラムがどう出来上がっていくのか、興味があります。
翌日なぜかしんどくなって起き上がれなくなり、食事も起き上がるのがつらくて昼食も夕食もパスした。これでは外泊は無理と中止になり、投薬も前の方法に戻してもらった。採血をして血液検査の結果、ヘモグロビンの濃度が6.3と下がっていて貧血の症状かもしれない。また輸血をしてみますか、と問われる。
ヘモグロビンは前回の輸血のあとで6.7だった。これまでの輸血の経験で、7前後の数値であればめまいなどの貧血の症状は大丈夫だが、6近くや6を下回れば貧血の症状になると経験している。輸血も何回も繰り返せるものではない。副作用でカリウムの数値が上昇すると深刻な症状が起きる事も聞いている。今回を最後の輸血と決めてお願いすることにした。
そしてまた、苦しくてしんどい状況の中で最後の輸血にしようとおもったとき、重大な決意が浮かんだ。「もうこんなつらい思いをしながら耐え忍ぶのはやめにしよう」と。緩和ケアの最後のプロセス”臨終へのプログラム”をお願いしてみようと。(”臨終へのプログラム”は私の勝手な名称付けです)
再び元気を取り戻して自宅で療養するために努力するのは止めよう。食べなければいけないと、いやいや食べていた食事、食事の時間が来るのが嫌だった。ふらつきながらしんどい思いで食べるのは止めよう。ジュース類など楽に流し込めるものならいつでも好きな時に口にできる。自宅での生活で少しでも動けるように、リハビリで歩くことをしましようね、と熱心に付き合ってくださっているリハビリの先生、気が向かなければはっきりとお断りしよう。排泄物の世話も看護師さんが親身になってお世話してくださる。申し訳ない気があり、できる範囲で自分でこなそうという気があったが、捨てよう、なんでも遠慮なく頼んでやってもらおう、など努力は捨てよう、と思い直したとき、ものすごく気が楽になった。
、、、
明け方まで”それって投げやりから来るのかな、しんどさの回避からくるのかな・・それはある・・正しいことなのかな、”、、、などなど自問してみるが、”今後努力したってささやかな延命にしかならない。それなら気持ちを切り替えて臨終目指して日々を過ごすほうが楽じゃないか、そうしよう”と決めた。
見回りに来られた看護師さんに、”こんな思いに至りましたので、担当医の先生に伝えてください”とお願いし話を聞いてもらった。先生は「医師として患者の寿命を短くしたり伸ばしたりする操作はできないが、尊厳は守ります」と答えてくださった。”尊厳は守ります”という言葉に嬉しさと安堵がわいてきた。
ということながら、さて具体的にどう変わるのかと問われれば、今まで通りの日々を過ごすだけ、です。ただしんどい思いの努力はしない、出来ないことは遠慮なく看護師さんに甘えて従う、だけです。そういった日々の中で、たった一つの願いは、悪化していくことによる痛みや苦しみに対処していただいて、日々安らかに送らせてほしい、そのことだけです。
改めて担当医の先生と妻とも病室で話し合ったし、兄や妹にも大事な話がある、と来てもらって伝えた。輸血のおかげで今は少し元気を取り戻している。これから臨終へのプログラムがどう出来上がっていくのか、興味があります。
2016年11月13日日曜日
再び入院へ
右顔面の麻痺がひどくなったなと感じるようになって、高音難聴や一日中頭がふらつき歩くのに支えがないとこけそうになったりしてきた。そして食べ物を飲み込むのが不自由になって食べられなくなり、再び入院させてもらうことになった。
入院3日くらいはほとんどのどが通らず、少量でもた食べなければと丸のみで飲み込んでいた。栄養士さんの協力もあり、おかゆや柔らかく煮込んで細かく刻んだもので徐々に食べる量も平常に戻ってきた。
飲み薬は飲み込めないので、注射器をセットして流し込む機器でもってオキシコドンをお腹から流し込んでいる。成分はまったく同じで量の微調整が効くようだから、痛みの度合いに合わせて調整してくださる。
携帯型に代わって手軽になったお陰で、気が緩んだのか朝の4時半ころ朝トイレに行くため立ち上がって、ベッドを振り向きすぐに歩こうとしたことで、前のめりになって倒れてしまった。顔面右上オデコのあたりから床の絨毯をこするように。首が”グキッ”と鳴ったのが聞こえた。”なんとかせなあかん”と頭をよぎり、ほふく前進スタイルでナースコールをつかんで鳴らし看護師さんに来てもらった。そのあと夜勤の先生も来てくださり、簡単な検査で”大丈夫”といってもらい、そのまま夜が明けるまで横になって過ごした。
本来ならとっさに足や手が出て支えられる程度のことだが、全く手も足も出ず倒れるままのなりゆき任せなを実感した。打撲と擦り傷で済んだことはラッキーだった。この日は看護師さんに「トイレに行くときは必ず呼びなさい」と言われておとなしく従って過ごした。
入院3日くらいはほとんどのどが通らず、少量でもた食べなければと丸のみで飲み込んでいた。栄養士さんの協力もあり、おかゆや柔らかく煮込んで細かく刻んだもので徐々に食べる量も平常に戻ってきた。
飲み薬は飲み込めないので、注射器をセットして流し込む機器でもってオキシコドンをお腹から流し込んでいる。成分はまったく同じで量の微調整が効くようだから、痛みの度合いに合わせて調整してくださる。
| テルモ小型シリンジポンプ 注射器をセットして、バッテリーで0.3ml/hの量を押し出している。 点滴のチューブは24時間刺したままなので移動の時はバッテリー端子を外す。 | |
| ケースに入っているので持ち運びは手軽 |
本来ならとっさに足や手が出て支えられる程度のことだが、全く手も足も出ず倒れるままのなりゆき任せなを実感した。打撲と擦り傷で済んだことはラッキーだった。この日は看護師さんに「トイレに行くときは必ず呼びなさい」と言われておとなしく従って過ごした。
2016年11月1日火曜日
副作用あれこれ
緩和ケア治療になってオキシコドンとロキソニンのコンビで疼痛生活を続けているのだが、痛みを抑えるのが目的だから効き目が薄れてくると当然強い薬になってくる。オキシコドンは1錠10mgと40mgを処方されていて、これは増量するにあたって10mgを4錠飲むより40錠なら1錠で済むからなので、多種類タ錠を飲む身としてはありがたいことだ。
オキシコドン(ベース薬)もエトドラク(痛み止め)も効果が薄くなると増量で調整してゆくのだが、エトドラクは胃腸への副作用が強いからとのことで一日の服用量を朝夕食後の2回で800mgに抑え、オキシコドンの増量でもって調整しますと聞いている。
5月にオキシコンチン20mgだったのが9月はさらに倍の40mg、8月にオキシコドンに変わって60mg、9月はさらに倍の120mg、10月になって160mg、そして現在200mgまでになっている。それにつれて副作用もきつくなってきた。
私の場合、便秘、かゆみ、味覚の麻痺、1日中ボーとしていてなにもしたくないとかあったが、薬の量に慣れると副作用も回復するのもあり、味覚も戻ったようだし、かゆみもあれど悩ますほどのことはない。便秘の悩みには持続していて、処方された薬でなんとか排便をこなしている。。
便秘の原因は、私の体験での理解だが、肛門が麻痺してくることのようだ。腸から押し出される便が、肛門の内側を刺激すると排便のセンサーにスイッチがいりもよおしてくる。このセンサーがオキシコドンによて麻痺させら働かないのでたまってくる。1週間過ぎても出そうにない。そこで、1週間目を目処に排便しようと試みる。
毎日、朝・昼・夕の食事後にマグミット2錠とアミティーザカプセルは朝夕食後に1錠を飲み、便を和らげておく。排便予定の2日前、夜寝る前に液体のピコスルファートナトリウムを15滴飲んで寝る。この薬は下剤のようだが全く反応がなく効果の程はわからないが、おまじないのつもりで飲んでいる。そして当日、坐薬の新レシカルボン坐薬でもって排便を済ますのである。入れるとき方向が定まらないと痛くて四苦八苦するのだが、使い捨てビニール手袋を使って指が押し込めるまで奥まで押し込む。一旦トイレから出て5分程すると肛門センサーに反応を感じるから押し出すようにリキむ。坐薬を押し込んで少し時間をおいたほうが良いかと考え20分程がまんしたことがあったが、そのうちに慣れてしまったのか反応が止まって排便失敗に終わった経験から、反応あればすぐさま頑張ることにしている。それでも便は簡単に出てこない。何度もリキみながら時間をかけてやっと便秘解消となるのである。
これで過去2回うまくいった。次はオキシコドン200mgの服用後だから、同じようにうまくいくかどうかわからない。
オキシコドン200mgになってもう一つ困った副作用が出てきた。顔面右側が麻痺してきたのだ。歯医者で麻酔を打ってもらった後のしびれとよく似ている。右目の目じりあたりも麻痺を感じて、文字を読むのに乱視で読めないこともある。左側はまだましだが、多少の麻痺は起きているのだろう。これで食事が困難になった。これまで何気なく口に運んで噛みながら飲み込むの繰り返しで食べていたことを知らされた。かみ砕いてのどの入り口に運び丸のみするように押し込まないと食べられないのだ。1回のその作業でけっこう疲れる。少々の食事だが、30分ほどかけて何とかすまし布団にゴロンとなって疲れをとる、という状態である。
もう一つは相変わらずだが、平衡感覚の麻痺だ。立ちあがて動こうとするとふらつく。何かに手を添えながらトイレなり台所洗なり面所なり何とか歩いて用を足している。少しでもバランスが崩れると倒れそうなので動きは慎重だ。血液検査でヘモグロビンの値は7.0だったから、低血圧による目まいや立ちくらみではないと思う。
その他、右顔面麻痺のせいでろれつも回らなくなって話しづらくなった。難聴も出てきた。会話のレベルは差し支えないようだが、音楽などの高音域は聞こえない。テレビはニュース番組以外は見なくなった。
そんな副作用あれこれだがこれ以上悪化しないようだから、しばらく我慢して付き合っていけば回復するかもしれない。ただし、これ以上痛み止めのレベルが上がらなければの話だが、、、。
オキシコドン(ベース薬)もエトドラク(痛み止め)も効果が薄くなると増量で調整してゆくのだが、エトドラクは胃腸への副作用が強いからとのことで一日の服用量を朝夕食後の2回で800mgに抑え、オキシコドンの増量でもって調整しますと聞いている。
5月にオキシコンチン20mgだったのが9月はさらに倍の40mg、8月にオキシコドンに変わって60mg、9月はさらに倍の120mg、10月になって160mg、そして現在200mgまでになっている。それにつれて副作用もきつくなってきた。
私の場合、便秘、かゆみ、味覚の麻痺、1日中ボーとしていてなにもしたくないとかあったが、薬の量に慣れると副作用も回復するのもあり、味覚も戻ったようだし、かゆみもあれど悩ますほどのことはない。便秘の悩みには持続していて、処方された薬でなんとか排便をこなしている。。
便秘の原因は、私の体験での理解だが、肛門が麻痺してくることのようだ。腸から押し出される便が、肛門の内側を刺激すると排便のセンサーにスイッチがいりもよおしてくる。このセンサーがオキシコドンによて麻痺させら働かないのでたまってくる。1週間過ぎても出そうにない。そこで、1週間目を目処に排便しようと試みる。
毎日、朝・昼・夕の食事後にマグミット2錠とアミティーザカプセルは朝夕食後に1錠を飲み、便を和らげておく。排便予定の2日前、夜寝る前に液体のピコスルファートナトリウムを15滴飲んで寝る。この薬は下剤のようだが全く反応がなく効果の程はわからないが、おまじないのつもりで飲んでいる。そして当日、坐薬の新レシカルボン坐薬でもって排便を済ますのである。入れるとき方向が定まらないと痛くて四苦八苦するのだが、使い捨てビニール手袋を使って指が押し込めるまで奥まで押し込む。一旦トイレから出て5分程すると肛門センサーに反応を感じるから押し出すようにリキむ。坐薬を押し込んで少し時間をおいたほうが良いかと考え20分程がまんしたことがあったが、そのうちに慣れてしまったのか反応が止まって排便失敗に終わった経験から、反応あればすぐさま頑張ることにしている。それでも便は簡単に出てこない。何度もリキみながら時間をかけてやっと便秘解消となるのである。
これで過去2回うまくいった。次はオキシコドン200mgの服用後だから、同じようにうまくいくかどうかわからない。
オキシコドン200mgになってもう一つ困った副作用が出てきた。顔面右側が麻痺してきたのだ。歯医者で麻酔を打ってもらった後のしびれとよく似ている。右目の目じりあたりも麻痺を感じて、文字を読むのに乱視で読めないこともある。左側はまだましだが、多少の麻痺は起きているのだろう。これで食事が困難になった。これまで何気なく口に運んで噛みながら飲み込むの繰り返しで食べていたことを知らされた。かみ砕いてのどの入り口に運び丸のみするように押し込まないと食べられないのだ。1回のその作業でけっこう疲れる。少々の食事だが、30分ほどかけて何とかすまし布団にゴロンとなって疲れをとる、という状態である。
もう一つは相変わらずだが、平衡感覚の麻痺だ。立ちあがて動こうとするとふらつく。何かに手を添えながらトイレなり台所洗なり面所なり何とか歩いて用を足している。少しでもバランスが崩れると倒れそうなので動きは慎重だ。血液検査でヘモグロビンの値は7.0だったから、低血圧による目まいや立ちくらみではないと思う。
その他、右顔面麻痺のせいでろれつも回らなくなって話しづらくなった。難聴も出てきた。会話のレベルは差し支えないようだが、音楽などの高音域は聞こえない。テレビはニュース番組以外は見なくなった。
そんな副作用あれこれだがこれ以上悪化しないようだから、しばらく我慢して付き合っていけば回復するかもしれない。ただし、これ以上痛み止めのレベルが上がらなければの話だが、、、。
2016年10月21日金曜日
薬の仕分け
いつのまにか、といっても治療から緩和へと方向転換した4月頃からだが、飲む薬の種類や量が徐々に増えきた。薬嫌いの私としては、なるべく増えないようにと多少抵抗していたものだが、その抵抗心も徐々に飲むことに慣らされてきて「副作用を懸念して辛抱するより、その場その時のQOLを優先して先のことなど考えなくてもいいや」と開き直れるようになった。
現在、処方されて飲んでいる薬の種類は
4段目は必要な時にだけ飲む屯服薬で、オキノーム散5mgは急な痛みのレスキューに、新レシカルボン坐薬とピコスルファートナトリウム内用液0.75%は、便秘が1週間ほど続くと服用する。
常時飲む種類は9種類だが、朝昼晩、一度に飲む数、などの違いがあるからややこしい。そこであらかじめ1週間分を1日分、朝夕に分別して仕分けしている。
昼食後に飲む薬はマグミット2錠があるが、これは便秘の状況に応じて自己判断だから飲み忘れても支障がないので気が楽だ。種類はたくさんでも、必要なのはベース薬のオキシコドンとエトドラクだけで、その他は副作用対策のために飲まなければならない薬だ。
痛み止めの効力が薄れてくると、オキシコドンやエトドラクの量が増えてきて、副作用も強くなる。とりわけ便秘には悩まされていて、1週間を目処に新レシカルボン坐薬とピコスルファートナトリウム内用液0.75%(1回15滴)をうまくつかって何とか排便を済ませている。薬の飲み方は入院中に看護師さんの説明や扱いを見聞きしてコツらしきものを覚えた。朝食後、夕食後と書かれていても、オキシコドンは12時間間隔を守ろうと「8時、20時頃に飲む」と決めてさらにお茶パック用の袋に分別してある。
これだけ丁寧に扱っているのだが、オキシコドンの増量で意識もうろう状態で飲むときなどは、朝飲む分を夕食後を取り出して飲んだり、その逆だったりする間違いをして、飲んだ後気が付き慌てたりすること数回あったりした。取り出す前に声だし確認をしたりしたりして、今は防げている。
現在、処方されて飲んでいる薬の種類は
| 1段目左から ・オキシコドン徐放カプセル40mg ・ネキシウムカプセル20mg ・オランザピンOD錠2.5mg「ファイザー」 2段目左から ・オキシコドン徐放カプセル10mg ・デカドロン錠0.5mg ・アミティーザカプセル24μg 3段目左から ・エトドラク錠200mg「トーワ」 ・タリオンOD錠10mg ・マグミット錠330mg |
常時飲む種類は9種類だが、朝昼晩、一度に飲む数、などの違いがあるからややこしい。そこであらかじめ1週間分を1日分、朝夕に分別して仕分けしている。
| 朝食後の服用 ・オキシコドン徐放カプセル40mg(2カプセル) ・オキシコドン徐放カプセル10mg(2カプセル) ・エトドラク錠200mg「トーワ」(2錠) ・アミティーザカプセル24μg(1カプセル) ・ネキシウムカプセル20mg(1カプセル) ・マグミット錠330mg(2錠) ・デカドロン錠0.5mg(1錠) ・タリオンOD錠10mg(1錠) 8種類12錠・カプセル |
| 夕食後の服用 ・オキシコドン徐放カプセル40mg(2カプセル) ・アミティーザカプセル24μg(1カプセル) ・オキシコドン徐放カプセル10mg(2カプセル) ・タリオンOD錠10mg(1錠) ・オランザピンOD錠2.5mg「ファイザー」(1錠) ・エトドラク錠200mg「トーワ」(2錠) ・マグミット錠330mg(2錠) 7種類11錠・カプセル |
痛み止めの効力が薄れてくると、オキシコドンやエトドラクの量が増えてきて、副作用も強くなる。とりわけ便秘には悩まされていて、1週間を目処に新レシカルボン坐薬とピコスルファートナトリウム内用液0.75%(1回15滴)をうまくつかって何とか排便を済ませている。薬の飲み方は入院中に看護師さんの説明や扱いを見聞きしてコツらしきものを覚えた。朝食後、夕食後と書かれていても、オキシコドンは12時間間隔を守ろうと「8時、20時頃に飲む」と決めてさらにお茶パック用の袋に分別してある。
これだけ丁寧に扱っているのだが、オキシコドンの増量で意識もうろう状態で飲むときなどは、朝飲む分を夕食後を取り出して飲んだり、その逆だったりする間違いをして、飲んだ後気が付き慌てたりすること数回あったりした。取り出す前に声だし確認をしたりしたりして、今は防げている。
2016年10月13日木曜日
輸血
今の私の場合、前立腺がんは緩和治療で日々を過ごしているのだが、骨の転移のほかは臓器などへ転移は見受けられないようで、「臓器は丈夫ですね」と診断されている。骨の痛みも相当悪化していると思われるが、疼痛薬の処方が合っていて抑えられているのだから、ありがたいものだ。
便秘やかゆみや足のむくみの症状があるが、薬による副作用によるものだからしかたがない。臓器へ転移して癌細胞が増殖したのなら命を圧迫するのだが、骨での増殖は差し迫って命を脅かすことはないようだ。しかし外堀を埋められて本丸へ届く症状は起きているもので、背骨の悪化で血液の生産量が低下し貧血へと進行しているのは間違いない。
血液検査のヘモグロビン値(血色素量)は、転院前の病院で退院時に2パック(400ml)を輸血した後だったので13.6だった。転院後の入院中は少々の目まいやふらつきはあるものの、しんどさはなかったので輸血はせずに退院できた。自宅療養を始めて4週目くらい(前回の輸血から5週目くらい)にめまいや立ちくらみがひどくなったので、通院で2パック輸血をしてもらった。この時のヘモグロビンは4.9まで下がっていた。その後は毎週の通院でヘモグロビンを監視していて、6.9に上昇の後、6.2→ 5.9と3週目で6を下回ったから再度2パックの輸血を済ませたところだ。
今後、血液の生産量が回復する見込は全くないのだから、輸血しても持続力は落ちてくる。何度も輸血を繰り替ええるものではない。「入院を希望されるならいつでもOKですよ」と促されたので「もう1週間自宅で考えます。入院は退屈だし」と答えて帰ってきた。
ここ2週続けて痛み止めベース薬、オキシコドンを1日120ml→ 160ml→ 200mlへと増やしてもらった。朝夕の飲む時間が近づくと痛み出すようになり、レスキュー薬である屯服のオキノームを2包づつ2回から3回は飲むようになったことを伝えると、オキノームよりオキシコドンの量を増やしたほうが安全だからとのことで増量となった。その副作用なのか、思考力の持続や低下を実感する。1日中頭がすっきりしないし、物忘れがひどくなったように思う。痴ほうの始まりとはこんなものだろうかと感じながら、このブログを書いている。
便秘やかゆみや足のむくみの症状があるが、薬による副作用によるものだからしかたがない。臓器へ転移して癌細胞が増殖したのなら命を圧迫するのだが、骨での増殖は差し迫って命を脅かすことはないようだ。しかし外堀を埋められて本丸へ届く症状は起きているもので、背骨の悪化で血液の生産量が低下し貧血へと進行しているのは間違いない。
血液検査のヘモグロビン値(血色素量)は、転院前の病院で退院時に2パック(400ml)を輸血した後だったので13.6だった。転院後の入院中は少々の目まいやふらつきはあるものの、しんどさはなかったので輸血はせずに退院できた。自宅療養を始めて4週目くらい(前回の輸血から5週目くらい)にめまいや立ちくらみがひどくなったので、通院で2パック輸血をしてもらった。この時のヘモグロビンは4.9まで下がっていた。その後は毎週の通院でヘモグロビンを監視していて、6.9に上昇の後、6.2→ 5.9と3週目で6を下回ったから再度2パックの輸血を済ませたところだ。
今後、血液の生産量が回復する見込は全くないのだから、輸血しても持続力は落ちてくる。何度も輸血を繰り替ええるものではない。「入院を希望されるならいつでもOKですよ」と促されたので「もう1週間自宅で考えます。入院は退屈だし」と答えて帰ってきた。
ここ2週続けて痛み止めベース薬、オキシコドンを1日120ml→ 160ml→ 200mlへと増やしてもらった。朝夕の飲む時間が近づくと痛み出すようになり、レスキュー薬である屯服のオキノームを2包づつ2回から3回は飲むようになったことを伝えると、オキノームよりオキシコドンの量を増やしたほうが安全だからとのことで増量となった。その副作用なのか、思考力の持続や低下を実感する。1日中頭がすっきりしないし、物忘れがひどくなったように思う。痴ほうの始まりとはこんなものだろうかと感じながら、このブログを書いている。
2016年9月22日木曜日
退院後の日々・・・その2
自宅ではベッドではなく布団で寝起きしている。介護申請も済ませたから承認されればベッドも保険適用で安く借りられるようだが、使う気はない。パソコンディスクや仏壇などもある部屋なので、場所をとるベッドは置きたくないのと「まだそこまで介護されるほど悪くはないわい」という反抗心も多少ある。
とはいっても布団だと起き上がるのはけっこう辛い。足腰に体を持ち上げるほどの筋力がなくなっているから両手の支えが必要だ。天井から何本もロープが吊るしてあれば起き上がるのも楽なのだが、といつも思うのだが現実的ではない。でも身の回りにあるもので工夫すれば何とかなるものだ。寝返りを打って後向きで腰を上げ立ち上がるまでの動作に、両手で支えるに適した高さのもの、トイレットペーパーでも小机でも椅子でも、高さの違うものを順次引き寄せて支えにし、起き上がっている。
はたから見れば、毎日家の中でぶらぶらして過ごしているから退屈な日々と思われるかもしれないが、そうでもない。薬の時間を気にし、体調を気にし、起き上がるにもトイレに行くにも動きだすまで時間がかかる。少し動くと疲れるからこまめな休憩も必要だ。パソコンの作業もやりたいことがある。何事もすぐに取り掛かり行動することが出来ないから時間を要する。そんなこんなで一日が終わるから退屈で困る、という日々ばかりではない。
とはいっても布団だと起き上がるのはけっこう辛い。足腰に体を持ち上げるほどの筋力がなくなっているから両手の支えが必要だ。天井から何本もロープが吊るしてあれば起き上がるのも楽なのだが、といつも思うのだが現実的ではない。でも身の回りにあるもので工夫すれば何とかなるものだ。寝返りを打って後向きで腰を上げ立ち上がるまでの動作に、両手で支えるに適した高さのもの、トイレットペーパーでも小机でも椅子でも、高さの違うものを順次引き寄せて支えにし、起き上がっている。
| 寝床の横に小机を置き、手を伸ばせばとれるものを並べている。体温計や血圧計があったので、1日2回ほど測定して記録している。また横になっているときに喉だけでなく口の中もひどく乾く。寝たままでペットボトルから飲むとこぼして布団を濡らしたので、孫が使っていたマグカップのお古を使いだした。夜中に口が乾いて目覚めること多々あるから、体を起こすことなくストローで口を潤せるから重宝だ |
| 外出もせず一日中家の中にいるとテレビも時間つぶしになるが、見たい番組も決まってくるし、そのうちに見る気も失せてくる。余命長くないとなれば、世の中の出来事なんて関心もなくなるし寝転んでみるには疲れる。深夜、眠れないときや目がさえた時はNHKラジオの「深夜便」を流しながら朝を迎える。 |
| 夜寝る前、枕元に必ずセッティングするものに、ポータブルのDVDプレーヤーがある。使うのはCDを聴くためだが、音楽と般若心経をMP3に変換してSDカードにコピーし使用している。入れ替える面倒さはないし連続して再生してくれる。音楽CDは「私の残したい曲を選んでまとめたもの」で、般若心経はユーチューブで見つけ音声だけをダウンロードして編集したもの。寝るときに小さな音でイヤホーンで聞き流していると、不愉快な気分であっても安らぎを覚え、いつしか寝入ってしまう。 |
2016年9月9日金曜日
退院後の日々
退院して2週間ほど経過した。退院時に処方してもらった鎮痛薬は、ベースのオキシコドン10mgを3カプセル(30mg)を8時と20時に飲むことにして、エトドラク200mg1錠とその他の副作用や便秘の対応薬を食後にまとめて飲む、と決めている。その鎮痛効果も薄れてきたのか、2~3時間前になると左足あたりから腰へとじわじわ痛みだしてきた。屯服としてオキノーム5mg2包を飲むものの、良くて現状維持で鎮痛効果は期待できない。朝夕とも7時までに食事をすますことにしているから、それまで寝転んでじっと耐え、食後のエトドラクが効きだしたのか痛みの進行は止まり、オキシコドンを飲む時間をひたすら待って飲み寝転んで耐えていると、9時くらいには楽になり10時くらいで痛みはなくなり動ける、というパターンでやりすごしていた。
ある朝、7時前になって朝食をと起き上がりたいのだが鈍い痛みで起き上がる動作が辛くてもぞもぞしていると、急激に左足の痛みがひどくなり耐えられなくなった。「薬持ってきて!」と妻に叫び食後に飲むエトドラク類の薬を口に放り込んだ。このあとなぜか口の渇きも異常で「お茶を持ってきて!」とペットボトルで大量に流し込んだ。痛みの進行が止まったようなので8時を心待ちしてオキシコドンを飲み耐えていると、いつも通り10時ころには起き上がって動けるようになり朝食を食べた。この時の痛みは過去経験がなく「安楽死の薬はないのか!」と心底思ったほどである。あれば飲んでいたかも知れないな。
またこんなことが起きたらたまらんと、鎮痛薬の処方をお願いしたくかかりつけ診療所に行った。しかし先生もどんな薬を処方してよいのかの戸惑いがあるように感じられたので、とりあえずオキシコドン1カプセルの追加を処方してもらった。一般の診療所では癌性疼痛の鎮痛はあまり経験がないのだろうから無理なのかもしれない。
ということで数日於いて、退院してきた病院で再度処方を相談したく受診した。オキシコドンを1回40mgから60mgに増やし、エトドラク200mgも1回1錠から2錠に増やす。オキシコドンのカプセルは40mgタイプもあるので、10mgタイプ2カプセルを足せば口に放り込む数も減らせる。こんな処方でしばらく様子を見ることになった。採血もして貧血の進行度も検査してもらったが、数値は低下しているもののまだ輸血するほどではないということ。言われるまでもなく自分自身でそう感じていたから納得。
今後も急な出来事が増えてくるのは予想できる。今のところ1週間先まではなんとか過ごせるとの感触があるが2週間ごとの通院では不安なので、今後は1週間ごとの通院を希望しておいた。採血は2週間ごとにお願いしてみるつもりだ。
ある朝、7時前になって朝食をと起き上がりたいのだが鈍い痛みで起き上がる動作が辛くてもぞもぞしていると、急激に左足の痛みがひどくなり耐えられなくなった。「薬持ってきて!」と妻に叫び食後に飲むエトドラク類の薬を口に放り込んだ。このあとなぜか口の渇きも異常で「お茶を持ってきて!」とペットボトルで大量に流し込んだ。痛みの進行が止まったようなので8時を心待ちしてオキシコドンを飲み耐えていると、いつも通り10時ころには起き上がって動けるようになり朝食を食べた。この時の痛みは過去経験がなく「安楽死の薬はないのか!」と心底思ったほどである。あれば飲んでいたかも知れないな。
またこんなことが起きたらたまらんと、鎮痛薬の処方をお願いしたくかかりつけ診療所に行った。しかし先生もどんな薬を処方してよいのかの戸惑いがあるように感じられたので、とりあえずオキシコドン1カプセルの追加を処方してもらった。一般の診療所では癌性疼痛の鎮痛はあまり経験がないのだろうから無理なのかもしれない。
ということで数日於いて、退院してきた病院で再度処方を相談したく受診した。オキシコドンを1回40mgから60mgに増やし、エトドラク200mgも1回1錠から2錠に増やす。オキシコドンのカプセルは40mgタイプもあるので、10mgタイプ2カプセルを足せば口に放り込む数も減らせる。こんな処方でしばらく様子を見ることになった。採血もして貧血の進行度も検査してもらったが、数値は低下しているもののまだ輸血するほどではないということ。言われるまでもなく自分自身でそう感じていたから納得。
今後も急な出来事が増えてくるのは予想できる。今のところ1週間先まではなんとか過ごせるとの感触があるが2週間ごとの通院では不安なので、今後は1週間ごとの通院を希望しておいた。採血は2週間ごとにお願いしてみるつもりだ。
2016年8月29日月曜日
早々と退院できました
やっと緩和ケア病床に転院できたものの、余命まだありそうで自宅で過ごせそうだとあって、一週間少々で退院することができた。
自宅へ戻ると洗濯機の給水ホースが水漏れしていると聞いていたので早々に修理した。妻の運転でホームセンターへ行き、交換部品を買ってきて取り替えたもののまだ同じように水漏れする。ネットで調べると「洗濯機用ストッパー付き水栓」なる部品があると知り再びホームセンターへ出かけて買い求め、水漏れストップで修理完了となった。
自宅に居ればこれぐらいのことはこなせるのだが、これも退院早々の元気があるうちにやっておかないと足腰が動かなくなって出来なくなる不安から「いつやるの?いまでしょう!」と少々無理をしてしまった。そのせいか翌日は左ひざが痛くて痛み止め屯服のオキノームを午前中だけで4包も飲むはめになった。
このブログの別ページで「検査値と処方の推移」を載せているが、4月から治療をやめて緩和にシフトした。この時点で前立腺がんのマーカーであるPSAの数値はあまり意味をなさなくなったのか、血液検査の結果で出てこなくなった(PSAだけ別途に検査が必要なようです)。今となってはPSAやALPの数値がどれだけ上昇しようと気にならない。それより今は赤血球の数値が気になる。
背骨が癌で侵されると血液を造る能力が失われてゆく、と聞いている。今回、転院先の病院を退院するにあたって退院前に輸血をしておきたいと申し出たのだが、なぜか輸血も点滴もされなかった。転院してくる直前にした輸血後の血液検査と、今回、退院するにあたってお願いした血液検査の数値は、赤血球やヘモグロビンやヘマトクリットの数値は低いなりにほぼ同程度(気持ち下がった程度)だった。そのせいだろうか、貧血の程度は変わらないから必要なしと判断されたのだろう。
おかしくなっていた味覚もほぼ戻ったようで、食事も美味しく感じられて3食ともしっかり食べている。シャワーもトイレも自分でこなせる、しかし疼痛薬の量が増えるにつれて便秘もひどくなり、体中にかゆみも出てきた。貧血だけでなくいろいろと悪い症状も増えてきて、そう遠くない日にまた入院することになるのは間違いないことだが、主治医やかかりつけ診療所の先生に頼って出来る事を見つけて退屈せず日々を過ごすとしよう。
自宅へ戻ると洗濯機の給水ホースが水漏れしていると聞いていたので早々に修理した。妻の運転でホームセンターへ行き、交換部品を買ってきて取り替えたもののまだ同じように水漏れする。ネットで調べると「洗濯機用ストッパー付き水栓」なる部品があると知り再びホームセンターへ出かけて買い求め、水漏れストップで修理完了となった。
自宅に居ればこれぐらいのことはこなせるのだが、これも退院早々の元気があるうちにやっておかないと足腰が動かなくなって出来なくなる不安から「いつやるの?いまでしょう!」と少々無理をしてしまった。そのせいか翌日は左ひざが痛くて痛み止め屯服のオキノームを午前中だけで4包も飲むはめになった。
このブログの別ページで「検査値と処方の推移」を載せているが、4月から治療をやめて緩和にシフトした。この時点で前立腺がんのマーカーであるPSAの数値はあまり意味をなさなくなったのか、血液検査の結果で出てこなくなった(PSAだけ別途に検査が必要なようです)。今となってはPSAやALPの数値がどれだけ上昇しようと気にならない。それより今は赤血球の数値が気になる。
背骨が癌で侵されると血液を造る能力が失われてゆく、と聞いている。今回、転院先の病院を退院するにあたって退院前に輸血をしておきたいと申し出たのだが、なぜか輸血も点滴もされなかった。転院してくる直前にした輸血後の血液検査と、今回、退院するにあたってお願いした血液検査の数値は、赤血球やヘモグロビンやヘマトクリットの数値は低いなりにほぼ同程度(気持ち下がった程度)だった。そのせいだろうか、貧血の程度は変わらないから必要なしと判断されたのだろう。
おかしくなっていた味覚もほぼ戻ったようで、食事も美味しく感じられて3食ともしっかり食べている。シャワーもトイレも自分でこなせる、しかし疼痛薬の量が増えるにつれて便秘もひどくなり、体中にかゆみも出てきた。貧血だけでなくいろいろと悪い症状も増えてきて、そう遠くない日にまた入院することになるのは間違いないことだが、主治医やかかりつけ診療所の先生に頼って出来る事を見つけて退屈せず日々を過ごすとしよう。
2016年8月24日水曜日
転院しました・・・その2
転院先の部屋はホスピス専用とあって、個室である。有料(1日1万円くらい)の部屋は我が家の家計ではとても支払いができないから断っていたが、今回のは保険適用で無料である。シャワー室、トイレ、洗面台、テレビ(有料)、冷蔵庫、簡易ベッドにもなる椅子、広々とした窓、部屋も広くゆったりとしている。LAN端子もあるからインターネットにもつなげる。このブログも病室から更新しているのだ。
主治医の先生があいさつに来られて「この部屋はみなさんに、元気になって家に帰っていただく部屋です」と言われたのは意外だった。末期がんで治療の余地なし、余命1ヵ月程度が予想される人が最優先で入れる部屋だと思っていたから、元気になってというのは考えられなかったからだ。
治療はせず痛みや精神的な不安などをやわらげて終末を迎える、がコンセプトだけあって、点滴や注射などない。体温や血圧をチェックしに来られたり、体調を聞きにこられたりする程度で、一般病棟と違って全く自由である。便秘とかゆみに悩まされているので、担当医師の先生が薬の処方を考えてくださるし、痛みが出れば痛み止めの処方も薬をかえてみたりと、至れり尽くせりだ。治療はしないといっても、患者が希望すれば検査や治療もしますとのこと。
転院した翌日、担当医師の先生から妻も同席して説明があった。「余命を予測する計算式があって、その数字によってホスピスの部屋へ入る人を選択するのですが、あなたはその結果を知りたいですか?それとも聞きたくないほうですか?」と問われたので「聞きたいです。隠したり伏せたりされるのは嫌いです」と答えた。「①余命が1ヶ月以内、②1ヶ月程度、③1ヶ月以上あり先の余命は予想できない、の3段階あるのですが、あなたはどの程度だと予想されますか?」と問われた。
輸血して元気を取り戻したとたんの転院で、この病院の駐車場から部屋まで歩いてきた。詰所の看護師さんが「歩いてきはった!」とつぶやくのを聞いたと妻が言っていた。自分でもこんなに元気な患者なら9月いっぱいの余命はあると感じていたから、正直にそのように伝えた。そうはいっても心臓や肺などが突然の変調で倒れることもある、その場合の延命処置は希望されますか?とも問われたので「延命処置はしないでください」と答えた。
転院して一週間が過ぎた。こちらが希望しなければ退院を迫られることはないのだが、この部屋をもっと必要としている人が控えているはずだから、早く空けたほうが良いと思うし、外出はできなくても家の中でトイレや食事に動けるなら家で過ごしたいという気もわいてきた。
近々、退院することになるだろう。
主治医の先生があいさつに来られて「この部屋はみなさんに、元気になって家に帰っていただく部屋です」と言われたのは意外だった。末期がんで治療の余地なし、余命1ヵ月程度が予想される人が最優先で入れる部屋だと思っていたから、元気になってというのは考えられなかったからだ。
治療はせず痛みや精神的な不安などをやわらげて終末を迎える、がコンセプトだけあって、点滴や注射などない。体温や血圧をチェックしに来られたり、体調を聞きにこられたりする程度で、一般病棟と違って全く自由である。便秘とかゆみに悩まされているので、担当医師の先生が薬の処方を考えてくださるし、痛みが出れば痛み止めの処方も薬をかえてみたりと、至れり尽くせりだ。治療はしないといっても、患者が希望すれば検査や治療もしますとのこと。
転院した翌日、担当医師の先生から妻も同席して説明があった。「余命を予測する計算式があって、その数字によってホスピスの部屋へ入る人を選択するのですが、あなたはその結果を知りたいですか?それとも聞きたくないほうですか?」と問われたので「聞きたいです。隠したり伏せたりされるのは嫌いです」と答えた。「①余命が1ヶ月以内、②1ヶ月程度、③1ヶ月以上あり先の余命は予想できない、の3段階あるのですが、あなたはどの程度だと予想されますか?」と問われた。
輸血して元気を取り戻したとたんの転院で、この病院の駐車場から部屋まで歩いてきた。詰所の看護師さんが「歩いてきはった!」とつぶやくのを聞いたと妻が言っていた。自分でもこんなに元気な患者なら9月いっぱいの余命はあると感じていたから、正直にそのように伝えた。そうはいっても心臓や肺などが突然の変調で倒れることもある、その場合の延命処置は希望されますか?とも問われたので「延命処置はしないでください」と答えた。
転院して一週間が過ぎた。こちらが希望しなければ退院を迫られることはないのだが、この部屋をもっと必要としている人が控えているはずだから、早く空けたほうが良いと思うし、外出はできなくても家の中でトイレや食事に動けるなら家で過ごしたいという気もわいてきた。
近々、退院することになるだろう。
2016年8月20日土曜日
転院しました・・・その1
入院した当時は苦しくてこのままいつまでも病院で過ごしたいと思うのだが、そこそこ元気になり治療の必要もなくなると病院側は「自宅に戻りますか」と尋ねてくる。こちらもどうしても必要だと思えない点滴でベッドに寝ているだけの生活に飽きてくる。帰ってもいいか、と思うものの前回みたいに突然に倒れて救急車で運ばれるのは御免だ、と思うから簡単に「帰ります」と返事はできない。食事も管理されたものが出るからこれも薬と完食するが、我が家だときっと食べる量が減ってきて弱ってくるだろう。また薬も薬剤師さんがチェックしていてくれて、変えたほうが良い場合はその説明に来られて変更する。そういった点で病院にいれば安心して日々が過ごせる。しかし帰りたいと思う気持ちは増してくる。
朝の回診に来られた主治医の先生にいろいろ尋ねる。救急車で運ばれて輸血を受けてから3週間近く近くなる。血液の造血機能はおとろえつつあるようだが、その他の臓器は丈夫で問題はなさそうだ。では、もう一度輸血をして症状に問題がなさそうなら帰宅を考えましょうということになった。前回の輸血は1袋だったのだが、数値的にはまだ下回っているとのこと。だからやはりめまいは完全になくなっていなくて、トイレまではなんとか歩けるようになったが歩き回れるまでに回復していない。だから2袋輸血しましょうかと提案された。前回の輸血の経過から問題はないということなので「お願いします」となった。採血をして検査後に輸血となり、それを待つ間に突然、なにかと相談に乗っていただいている緩和ケアチームの方が来られた。
何度もホスピスの部屋への転院を打診しながらも、空きがなく許可が出なかった病院から、「キャンセルが出たので明日転院できるかと連絡がきたが、どうされます?」とのこと。このチャンスを逃すと次はわからないので即座に「行きます」と答えた。で、「輸血はどうする?輸血して元気になってしまうと返されるのだろうか」という話になったが、予定通りしてもらうことにした。
翌朝再度採血をして、輸血後のデータも含めたデータや書類の袋と共に、妻の運転で退院からそのまま転院先の病院へ向かった。1週間ほど前の一時帰宅の時は妻の車いすで車まで運んでもらった。輸血をしなければ同じように車いすが必要だったはずなのに、十分な量の輸血をしたおかげで、部屋から車まで、歩いて乗り込むことができた。
朝の回診に来られた主治医の先生にいろいろ尋ねる。救急車で運ばれて輸血を受けてから3週間近く近くなる。血液の造血機能はおとろえつつあるようだが、その他の臓器は丈夫で問題はなさそうだ。では、もう一度輸血をして症状に問題がなさそうなら帰宅を考えましょうということになった。前回の輸血は1袋だったのだが、数値的にはまだ下回っているとのこと。だからやはりめまいは完全になくなっていなくて、トイレまではなんとか歩けるようになったが歩き回れるまでに回復していない。だから2袋輸血しましょうかと提案された。前回の輸血の経過から問題はないということなので「お願いします」となった。採血をして検査後に輸血となり、それを待つ間に突然、なにかと相談に乗っていただいている緩和ケアチームの方が来られた。
何度もホスピスの部屋への転院を打診しながらも、空きがなく許可が出なかった病院から、「キャンセルが出たので明日転院できるかと連絡がきたが、どうされます?」とのこと。このチャンスを逃すと次はわからないので即座に「行きます」と答えた。で、「輸血はどうする?輸血して元気になってしまうと返されるのだろうか」という話になったが、予定通りしてもらうことにした。
翌朝再度採血をして、輸血後のデータも含めたデータや書類の袋と共に、妻の運転で退院からそのまま転院先の病院へ向かった。1週間ほど前の一時帰宅の時は妻の車いすで車まで運んでもらった。輸血をしなければ同じように車いすが必要だったはずなのに、十分な量の輸血をしたおかげで、部屋から車まで、歩いて乗り込むことができた。
2016年8月11日木曜日
2度目の入院中ですが、、、
2度目の入院をしております。本日は昼間だけの帰宅で久しぶりの更新をします。夕刻には再び病院に戻ります。
1度目の退院から2週間目に、夕方トイレに起きようと起き上がろうとしたとき、目の前が真っ白になり天井がぐるぐる回りだして倒れこんでしまった。妻を呼んで這うようにしてトイレは済ませたものの、起き上がれない状態になってしまった。夕食も食べられず薬を枕元に運んでもらって飲むだけだった。
この先どうなるのだろうと思いながらじっと寝込んでいたものの回復の兆しはない。訪問看護の契約は済んでいて、24時間対応のオプションも申し込んでいたので、夜の9時半頃だが妻に電話してもらって看護師さんに来てもらった。看護師さんの采配でかかりつけ医院の先生に電話で様子を伝え、先生が前回入院していた病院に電話で入院の許可をとって下さり、救急車を要請して病院に運んでもらった。夜の10時半ころだった。
入院して翌日、主治医の先生が来られて「輸血をしなさい」と言って紙を差し出されサインを求められた。そのあと相談に乗ってもらっている緩和ケァチームの方も来られ、貧血の度合いがあまりにも低いので輸血をすれば楽になる、とも言われた。前回の入院の時、貧血なので輸血されますか?と問われていらないと拒否していたので、説得に来られたのだと思う。
8時間かけて輸血と点滴をし、その後2日は点滴を続けてようやく少し楽になった。それでも寝ていて目を開けると天井がゆっくりと回るので、起き上がるのも一苦労、トイレも看護師さんに支えてもらってベッドで尿瓶をつかう状態だった。
4日目からは8時間の点滴のみで今日に至っているが、徐々に楽になりトイレまでは歩けるようになり、食事も最初は食べられなかったが3食とも完食できるまでになり、今日の昼間帰宅を申し出ても許可されるくらいになった。
再び退院できるのかわからない。退院してもまた同じように入院しなければならなくなるのは間違いない。面談を済ませたホスピスに移れるよう主治医の先生や緩和ケァチームの方が働きかけをしてくださっているようだが、受け入れの返事はないとのこと。何か月待ちの人が多いから仕方ないことか。
まもなく病院に戻ってさらに悪化しないよう、のんびりと過ごすとしょう。
1度目の退院から2週間目に、夕方トイレに起きようと起き上がろうとしたとき、目の前が真っ白になり天井がぐるぐる回りだして倒れこんでしまった。妻を呼んで這うようにしてトイレは済ませたものの、起き上がれない状態になってしまった。夕食も食べられず薬を枕元に運んでもらって飲むだけだった。
この先どうなるのだろうと思いながらじっと寝込んでいたものの回復の兆しはない。訪問看護の契約は済んでいて、24時間対応のオプションも申し込んでいたので、夜の9時半頃だが妻に電話してもらって看護師さんに来てもらった。看護師さんの采配でかかりつけ医院の先生に電話で様子を伝え、先生が前回入院していた病院に電話で入院の許可をとって下さり、救急車を要請して病院に運んでもらった。夜の10時半ころだった。
入院して翌日、主治医の先生が来られて「輸血をしなさい」と言って紙を差し出されサインを求められた。そのあと相談に乗ってもらっている緩和ケァチームの方も来られ、貧血の度合いがあまりにも低いので輸血をすれば楽になる、とも言われた。前回の入院の時、貧血なので輸血されますか?と問われていらないと拒否していたので、説得に来られたのだと思う。
8時間かけて輸血と点滴をし、その後2日は点滴を続けてようやく少し楽になった。それでも寝ていて目を開けると天井がゆっくりと回るので、起き上がるのも一苦労、トイレも看護師さんに支えてもらってベッドで尿瓶をつかう状態だった。
4日目からは8時間の点滴のみで今日に至っているが、徐々に楽になりトイレまでは歩けるようになり、食事も最初は食べられなかったが3食とも完食できるまでになり、今日の昼間帰宅を申し出ても許可されるくらいになった。
再び退院できるのかわからない。退院してもまた同じように入院しなければならなくなるのは間違いない。面談を済ませたホスピスに移れるよう主治医の先生や緩和ケァチームの方が働きかけをしてくださっているようだが、受け入れの返事はないとのこと。何か月待ちの人が多いから仕方ないことか。
まもなく病院に戻ってさらに悪化しないよう、のんびりと過ごすとしょう。
2016年7月16日土曜日
退院しました
もう自宅に戻ることは無いだろうと入院をしたのだが、退院しました、
入院前日の手続きの終わりに、採血と腹部のレントゲンと心電図の検査を済ませてから帰ってください、と言われそのように済ませた。
入院すると主治医が説明に来られて、前日の血液検査から「脱水症状を起こしているから、点滴をします」と言われ、点滴が始まった、5~6時間かけてゆっくりと流し込んでい行く治療をとりあえず3日くらい続けるとのこと。
入院前に苦しかったのは熱中症によるものだったのか、暑さ増す時期で寝ていてもよく汗をかいていた。食欲がなくなり物が食べられなくなり、それでも水だけはよく飲むように主治医に言われていたので、飲むように努めていたものの、脱水症状を起こしていたようだ。室内で過ごしているのに熱中症を起こし救急車で運ばれるのが後を絶たないのも無理はないと実感できた。
入院して数日後に採血があり、血液検査の結果を主治医が報告に来た。「貧血を起こしている」とのこと。背骨が癌に侵されているので、脊髄で血液を造る機能が低下しているのだと言う。ベッドから起きて歩き出そうとすると立ちくらみで倒れそうになり窓際にしがみついたことがあったのは、この貧血によるせいだったのだ。「輸血をすると貧血の症状は改善されますが、どうされますか?」と迫られる。輸血で症状が改善されるのは1週間から10日くらい、外部から入れた血液は攻撃されたり流れ出たりして持続できないとのこと。輸血を続けることによって新たな副作用や体調変化が起きることを考えると「治療にならない小手先の処置なら無駄だから止めます」といって拒否。
「CT検査は最初の診察以降していないから、CT検査を受けてきてください」と言われ受けてみる。この結果の主治医の説明は「最初の画像と精査して比べて見ると、肺にあった転移の可能性らしき影が消えている」とのこと。確かに最初の撮影結果をモニターを見ながら受けた説明では、左の肺(だったかな?)に小さな影が点在していて「転移の可能性あり」と聞いていた。以来、肺癌は起きるだろうなと覚悟していたのだが、一向にそれらしき症状は感じられなかったし主治医からもその兆候は聞いていない。どうやら最初のホルモン治療でPSAが基準値以内まで劇的に下がったことで影が消えたのだろうとの説明だが、しかし、レントゲン映像から影が消えただけで、肺の癌細胞が消えてなくなったわけではないとの付け足しあり。
骨の癌浸食は進行しているのだが、内臓は元気だと主治医は言う。しかし喜ぶ気にはなれない。骨の悪化は臓器のように直接命を脅かすことにはならない。痛みや貧血を引き起こしじわじわと不愉快な症状をで迫ってくるのだから、これらに対処しながら日々を過ごすのもつらいものだ。
入院して規則正しい生活を過ごしていると、最初は食事も喉を通らなくなんとか頑張っておかずだけは食べていたのが、昼食ではご飯も食べて完食できるようになり、朝食も夕食も完食できるようになった。貧血による立ちくらみや目まいは、動作をゆっくりと立ち止まりながら行うことで、トイレやシャワーもこなせる。痛み止めや便秘の薬も、看護師さんの説明や指導のもと規則正しく服用することで効果が出ている。
こうなると、入院生活が退屈で飽きてくる。家に戻ってもしばらくは生活できるだろうと思えるようになり退院を申し出る。主治医と緩和ケァチームの方が、帰宅後のかかりつけ診療所や介護士さんのネットワーク作りに尽力してくださり、確立できたので退院のOKが出た。
大病院では通院しないと診察してくれないが、かかりつけ医院があれば急な容体でも24時間相談できるし、駆けつけて下さる。こういった安心感が在宅診療にはある。とりあえずかかりつけ医院に電話すれば、訪問診察なり入院の采配など引き受けてくれるとのこと。
これまで大きな病気知らずで、歯医者以外の病院には縁がなかったから、近くでお世話になるべくかかりつけ診療所など持つ必要がなかったのだが、これからはこの診療所とのお付き合いを密にして日々を過ごすことになるだろう。
入院前日の手続きの終わりに、採血と腹部のレントゲンと心電図の検査を済ませてから帰ってください、と言われそのように済ませた。
入院すると主治医が説明に来られて、前日の血液検査から「脱水症状を起こしているから、点滴をします」と言われ、点滴が始まった、5~6時間かけてゆっくりと流し込んでい行く治療をとりあえず3日くらい続けるとのこと。
入院前に苦しかったのは熱中症によるものだったのか、暑さ増す時期で寝ていてもよく汗をかいていた。食欲がなくなり物が食べられなくなり、それでも水だけはよく飲むように主治医に言われていたので、飲むように努めていたものの、脱水症状を起こしていたようだ。室内で過ごしているのに熱中症を起こし救急車で運ばれるのが後を絶たないのも無理はないと実感できた。
入院して数日後に採血があり、血液検査の結果を主治医が報告に来た。「貧血を起こしている」とのこと。背骨が癌に侵されているので、脊髄で血液を造る機能が低下しているのだと言う。ベッドから起きて歩き出そうとすると立ちくらみで倒れそうになり窓際にしがみついたことがあったのは、この貧血によるせいだったのだ。「輸血をすると貧血の症状は改善されますが、どうされますか?」と迫られる。輸血で症状が改善されるのは1週間から10日くらい、外部から入れた血液は攻撃されたり流れ出たりして持続できないとのこと。輸血を続けることによって新たな副作用や体調変化が起きることを考えると「治療にならない小手先の処置なら無駄だから止めます」といって拒否。
「CT検査は最初の診察以降していないから、CT検査を受けてきてください」と言われ受けてみる。この結果の主治医の説明は「最初の画像と精査して比べて見ると、肺にあった転移の可能性らしき影が消えている」とのこと。確かに最初の撮影結果をモニターを見ながら受けた説明では、左の肺(だったかな?)に小さな影が点在していて「転移の可能性あり」と聞いていた。以来、肺癌は起きるだろうなと覚悟していたのだが、一向にそれらしき症状は感じられなかったし主治医からもその兆候は聞いていない。どうやら最初のホルモン治療でPSAが基準値以内まで劇的に下がったことで影が消えたのだろうとの説明だが、しかし、レントゲン映像から影が消えただけで、肺の癌細胞が消えてなくなったわけではないとの付け足しあり。
骨の癌浸食は進行しているのだが、内臓は元気だと主治医は言う。しかし喜ぶ気にはなれない。骨の悪化は臓器のように直接命を脅かすことにはならない。痛みや貧血を引き起こしじわじわと不愉快な症状をで迫ってくるのだから、これらに対処しながら日々を過ごすのもつらいものだ。
入院して規則正しい生活を過ごしていると、最初は食事も喉を通らなくなんとか頑張っておかずだけは食べていたのが、昼食ではご飯も食べて完食できるようになり、朝食も夕食も完食できるようになった。貧血による立ちくらみや目まいは、動作をゆっくりと立ち止まりながら行うことで、トイレやシャワーもこなせる。痛み止めや便秘の薬も、看護師さんの説明や指導のもと規則正しく服用することで効果が出ている。
こうなると、入院生活が退屈で飽きてくる。家に戻ってもしばらくは生活できるだろうと思えるようになり退院を申し出る。主治医と緩和ケァチームの方が、帰宅後のかかりつけ診療所や介護士さんのネットワーク作りに尽力してくださり、確立できたので退院のOKが出た。
大病院では通院しないと診察してくれないが、かかりつけ医院があれば急な容体でも24時間相談できるし、駆けつけて下さる。こういった安心感が在宅診療にはある。とりあえずかかりつけ医院に電話すれば、訪問診察なり入院の采配など引き受けてくれるとのこと。
これまで大きな病気知らずで、歯医者以外の病院には縁がなかったから、近くでお世話になるべくかかりつけ診療所など持つ必要がなかったのだが、これからはこの診療所とのお付き合いを密にして日々を過ごすことになるだろう。
2016年7月1日金曜日
やっと入院へ
本日やっと入院できるようになりました。
朝夕7時~8時の間ぐらいを食事と決めそれに合わせて疼痛薬は飲んでいるのだが、食欲はなく胸やけ気分では食べ物を口に入れることなく空腹のまま飲んでいる。それで1日中痛みから逃れられているが、起き上がるのも動くのも困難で過ごしている。食べないから体力がどんどんなくなっていくのだから仕方がないことだ。日中、薬の効きが安定すると食べる気も起きて食べるように努めるのだが、少量しか食べられないから焼石に水だろう。
急激に動くのが困難になりそうなのを察したので、今のうちに何とか入院したいと、妻に病院に行ってもらった。帰ってくるなり「主治医の先生がすぐ来てくれと言っている。入院の手続きをするから」というものだからすぐに出かけた。院内の緩和ケアチームの窓口にまず出向いて相談すると、担当の人が主治医とのコンタクトや手順などに尽力してくださったようでスムーズに進んだようだ。
入院するならまだ少し身の回りの整理をしたいこともあったので、そんなにすぐにとは考えていなかった。週末には長女も来ると言っていたから、みんなを前に後の処理を話しておきたかった。しかし、「病院にも都合があっていつでも入院できるわけではない。今ならベッドが空いていたから押すでにさえた、今からすぐに入院したほうが良い」と言われ、せめて翌日からの入院でとお願いして自宅に戻り準備をすませて寝た。
ということで、人生初の入院生活を体験しに、間もなく出かけます。再び自宅に戻れるかどうかはわからないが、病院に居れば何が起きても心配ないから、安心した日々を送れるだろう。
朝夕7時~8時の間ぐらいを食事と決めそれに合わせて疼痛薬は飲んでいるのだが、食欲はなく胸やけ気分では食べ物を口に入れることなく空腹のまま飲んでいる。それで1日中痛みから逃れられているが、起き上がるのも動くのも困難で過ごしている。食べないから体力がどんどんなくなっていくのだから仕方がないことだ。日中、薬の効きが安定すると食べる気も起きて食べるように努めるのだが、少量しか食べられないから焼石に水だろう。
急激に動くのが困難になりそうなのを察したので、今のうちに何とか入院したいと、妻に病院に行ってもらった。帰ってくるなり「主治医の先生がすぐ来てくれと言っている。入院の手続きをするから」というものだからすぐに出かけた。院内の緩和ケアチームの窓口にまず出向いて相談すると、担当の人が主治医とのコンタクトや手順などに尽力してくださったようでスムーズに進んだようだ。
入院するならまだ少し身の回りの整理をしたいこともあったので、そんなにすぐにとは考えていなかった。週末には長女も来ると言っていたから、みんなを前に後の処理を話しておきたかった。しかし、「病院にも都合があっていつでも入院できるわけではない。今ならベッドが空いていたから押すでにさえた、今からすぐに入院したほうが良い」と言われ、せめて翌日からの入院でとお願いして自宅に戻り準備をすませて寝た。
ということで、人生初の入院生活を体験しに、間もなく出かけます。再び自宅に戻れるかどうかはわからないが、病院に居れば何が起きても心配ないから、安心した日々を送れるだろう。
2016年6月28日火曜日
夢ごこちの日々を送っています、、、
主治医が代わってから、検査結果を開示して詳しく説明してくれなかったり、検査値表のPSA項目が掲載されていなかったりして、スッキリしないのだが、知ったところでどうにもならないところまで進行しているのだから、どうでもいいことだと問い詰める気は起きない。
飲み薬の量も種類も増えた。疼痛薬だけなのだが、最初は軽くて副作用の少ない薬で済んでいたのが、効きが悪くなって量が増え副作用を抑さえるため種類も追加されるのだ。
オキシコンチン
疼痛薬のベースとして、朝夕飲むのだが、1回1錠から始まって、屯服として飲んでいたロキソニンでの痛み止め効果が薄れたことで2錠に増えた。そのロキシニンが1日3錠(おおよそ8時間間隔で)まで増えたと主治医に告げると、ロキソニンは胃潰瘍のリスクが高まるから、それならオキシコンチンを増やしたほうが良い、とのことで朝夕各1回4錠で処方してくださった。
さらに「この薬を追加すれば見かけ上元気になりますよ」とのことでステロイド系のデカドロンを朝夕各1回 1錠も追加してくださった。
さらに、胃の保護としてムコスタをすでに飲んでいるが、追加の保護薬としてネキシウムカプセルも朝食後1回1錠が加わった。
オキシコンチンの副作用で便秘になるからすでにマグミットは飲んでいるし、カルシウム補助剤としてデノタスチュアブルも飲み続けている。こんなわけで、朝7種類12錠、夕5種類9錠の錠剤をガバッと飲むことになった。
さてその効果は。。。。
主治医の言った「見かけ上は元気になりますよ」という意味が実感できた。
痛みは防げているが、1日中ボーとしながら過ごしている。起きて動き回る気力はない。トイレや台所まで動くのがやっとで、横になっているのが楽なのだが、熟睡状態にならずもうろうとした意識の中で変な夢を見たりしている。薬を飲む前の食欲は全くなく、空腹のまま飲んでいる。薬が効いてくると胸やけも少し治まるので、少量でも喉を通るものを食べるようにしている。主治医には「食べたくなければ無理に食べなくてもよい。ただ水分はしっかりととるように」と言われている。
思考力も衰えて、このブログを書き上げるにも時間がかかる。そのうちに書くことさえ面倒になってくるのだろうな。。。
飲み薬の量も種類も増えた。疼痛薬だけなのだが、最初は軽くて副作用の少ない薬で済んでいたのが、効きが悪くなって量が増え副作用を抑さえるため種類も追加されるのだ。
オキシコンチン
疼痛薬のベースとして、朝夕飲むのだが、1回1錠から始まって、屯服として飲んでいたロキソニンでの痛み止め効果が薄れたことで2錠に増えた。そのロキシニンが1日3錠(おおよそ8時間間隔で)まで増えたと主治医に告げると、ロキソニンは胃潰瘍のリスクが高まるから、それならオキシコンチンを増やしたほうが良い、とのことで朝夕各1回4錠で処方してくださった。
さらに「この薬を追加すれば見かけ上元気になりますよ」とのことでステロイド系のデカドロンを朝夕各1回 1錠も追加してくださった。
さらに、胃の保護としてムコスタをすでに飲んでいるが、追加の保護薬としてネキシウムカプセルも朝食後1回1錠が加わった。
オキシコンチンの副作用で便秘になるからすでにマグミットは飲んでいるし、カルシウム補助剤としてデノタスチュアブルも飲み続けている。こんなわけで、朝7種類12錠、夕5種類9錠の錠剤をガバッと飲むことになった。
朝食後 1.オキシコンチン4錠 2.マグミット2錠 3.ロキソニン1錠 4.ムコスタ1錠 5.デノタスチュアブル2錠 6.デカドロン1錠 7.ネキシウムカプセル1錠 |
夕食後 1.オキシコンチン4錠 2.マグミット2錠 3.ロキソニン1錠 4.ムコスタ1錠 5.デカドロン1錠 |
主治医の言った「見かけ上は元気になりますよ」という意味が実感できた。
痛みは防げているが、1日中ボーとしながら過ごしている。起きて動き回る気力はない。トイレや台所まで動くのがやっとで、横になっているのが楽なのだが、熟睡状態にならずもうろうとした意識の中で変な夢を見たりしている。薬を飲む前の食欲は全くなく、空腹のまま飲んでいる。薬が効いてくると胸やけも少し治まるので、少量でも喉を通るものを食べるようにしている。主治医には「食べたくなければ無理に食べなくてもよい。ただ水分はしっかりととるように」と言われている。
思考力も衰えて、このブログを書き上げるにも時間がかかる。そのうちに書くことさえ面倒になってくるのだろうな。。。
2016年6月9日木曜日
オキシコンチンと酒
オキシコンチンの注意事項に「アルコール類は、薬の作用を強めることがありますので避けて下さい」と書かれている。薬の作用を弱めるの間違いじゃないか、と読み直すが強めると間違いなく書かれている。
鎮痛薬なのだから、作用を強めるのなら飲酒でさらに鎮痛効果が増すのだから、飲んでもよいのだ、とつっこみを入れたくなる。
痛み止めの薬を常用するようになって酒も飲まなくなったが、それでも飲みたくなるときがある。で、飲むのだが、足腰やあちこちが痛み出してくる。
ロキソニンが効かなくなったのかとオキノームも飲み足す。すぐに収まらないがオキノームが効いてきたのかアルコールが覚めてきたのか、2時間くらい耐えていると痛みも治まってくる。やはりアルコールは良くないと思いながらも日が過ぎるとまた飲みたくなり、飲むと同じように痛みだす。ワインなら大丈夫かな、と赤ワインを買ってきて飲んだが、やはり同じ。オキシコンチンの注意事項は間違っている。
いまのところ、朝夕の夕食後にオキシコンチンを2錠づつ飲み、8時間おきにロキソニン(+ムスコタ)を1錠飲む。ロキソニンは最初オキシコンチンと同様、朝夕食後に飲んでいたが、8時間過ぎると痛みが戻ってくる。それならと8時間おきに飲むことにした。早朝5時・13時・21時の3回に決めて飲んでいる。
これで今のところ何事もなく過ごせているが、足腰の踏ん張りが利かなくなって、立ったり座ったりする動作や、立って動き回るのがつらくなる時もある。そんな時はひたすら寝て過ごすことにしている。起きて何か作業をしようと頑張ろうとしてもひどく疲れるだけだし気力もわかない。
出来る事がだんだん減ってくるのは致し方ないことだと割り切れば、テレビを見ながら1日中ゴロゴロしていても、家族に申し訳ないという気は起きない。
鎮痛薬なのだから、作用を強めるのなら飲酒でさらに鎮痛効果が増すのだから、飲んでもよいのだ、とつっこみを入れたくなる。
痛み止めの薬を常用するようになって酒も飲まなくなったが、それでも飲みたくなるときがある。で、飲むのだが、足腰やあちこちが痛み出してくる。
ロキソニンが効かなくなったのかとオキノームも飲み足す。すぐに収まらないがオキノームが効いてきたのかアルコールが覚めてきたのか、2時間くらい耐えていると痛みも治まってくる。やはりアルコールは良くないと思いながらも日が過ぎるとまた飲みたくなり、飲むと同じように痛みだす。ワインなら大丈夫かな、と赤ワインを買ってきて飲んだが、やはり同じ。オキシコンチンの注意事項は間違っている。
いまのところ、朝夕の夕食後にオキシコンチンを2錠づつ飲み、8時間おきにロキソニン(+ムスコタ)を1錠飲む。ロキソニンは最初オキシコンチンと同様、朝夕食後に飲んでいたが、8時間過ぎると痛みが戻ってくる。それならと8時間おきに飲むことにした。早朝5時・13時・21時の3回に決めて飲んでいる。
これで今のところ何事もなく過ごせているが、足腰の踏ん張りが利かなくなって、立ったり座ったりする動作や、立って動き回るのがつらくなる時もある。そんな時はひたすら寝て過ごすことにしている。起きて何か作業をしようと頑張ろうとしてもひどく疲れるだけだし気力もわかない。
出来る事がだんだん減ってくるのは致し方ないことだと割り切れば、テレビを見ながら1日中ゴロゴロしていても、家族に申し訳ないという気は起きない。
2016年5月28日土曜日
鎮痛剤あれこれ
鎮痛薬を服用するようになって、聞きなれないカタカナ名の薬が増え覚えられなくて、また飲み方もルールがあるのでここでまとめてみることにした。現在処方されているのは、下記の4分類である。
(1)
(2)
(3)
(4)
まず(1)のオキシコンチンは毎日朝夕、食後に飲む。最初は1錠づつだったが、「2錠に増やします」といわれ、今は2錠づつのんでいる。しかしこれだけで痛みは治まらないので(2)のロキソニンをⅠ錠飲み足して痛みが治まる。ムスコタ錠はロキソニンとセットで、胃の荒れを防ぐために同時にⅠ錠づつのまなければならない。
飲んですぐに痛みは治まらないが、2時間くらい経過すると治まってくる。痛みが軽いときは10時間くらいもつが、ひどいときは8時間くらいで痛みが戻りだす。ロキソニンを飲んで数時間経過しても痛みが引かない場合は(3)のオキノームをさらに飲みたす。
オキノームは最初、ブルーのパッケージ2.5mgだったが、これも倍に増やします、ということで5mg入りのオレンジ袋を処方された。
ロキソニンは朝8時、夜の20時と12時間間隔で飲んでいる。これで夜もよく眠れる。オキノームは今のところごくたまにしかお世話になっていない。
オキシコンチンの副作用に便秘がある。その薬が(4)のマグミット錠で、1日朝昼晩の3回、2錠づつの処方となっているが、飲む量は排便の状態に合わせて自分で判断して飲めばいいですよ、と言われているので、夕食後2錠だけ飲んでいる。3日くらい飲み続けば出てくるのでこれでいいだろう。
マグミット錠でも排便できないときは、下剤のプレゼニド錠を寝る前に2錠飲むとあるが、まだ一度も使用していない。
以上の薬を織り交ぜて飲み、毎日を過ごしている。
(1)
| オキシコンチン錠 5mg ・強い痛みをおさえる薬 ・痛み止めのベース薬として朝・夕食後 各2錠づつ飲む |
| (上)ロキソニン錠 60mg ・鎮痛剤 (下)ムスコタ錠 100mg ・ロキソニンによる胃の荒れを予防する。 |
| (上)オキノーム散 2.5mg (下)オキノーム散 5mg 中等度から高度の疼痛を伴う各種癌における鎮痛薬 |
| (上)プレゼニド錠 12mg ・代表的な大腸刺激性下剤 (下)マグミット錠 330mg ・便通をよくする薬 |
飲んですぐに痛みは治まらないが、2時間くらい経過すると治まってくる。痛みが軽いときは10時間くらいもつが、ひどいときは8時間くらいで痛みが戻りだす。ロキソニンを飲んで数時間経過しても痛みが引かない場合は(3)のオキノームをさらに飲みたす。
オキノームは最初、ブルーのパッケージ2.5mgだったが、これも倍に増やします、ということで5mg入りのオレンジ袋を処方された。
ロキソニンは朝8時、夜の20時と12時間間隔で飲んでいる。これで夜もよく眠れる。オキノームは今のところごくたまにしかお世話になっていない。
オキシコンチンの副作用に便秘がある。その薬が(4)のマグミット錠で、1日朝昼晩の3回、2錠づつの処方となっているが、飲む量は排便の状態に合わせて自分で判断して飲めばいいですよ、と言われているので、夕食後2錠だけ飲んでいる。3日くらい飲み続けば出てくるのでこれでいいだろう。
マグミット錠でも排便できないときは、下剤のプレゼニド錠を寝る前に2錠飲むとあるが、まだ一度も使用していない。
以上の薬を織り交ぜて飲み、毎日を過ごしている。
2016年5月25日水曜日
MRI検査
前立腺癌だと診断されてすぐくらいに、大阪で骨転移について公開講座参があるとラジオで知り、グッドタイミングだとすぐ申込んだ。後日、長女が来た時に話すと、私も一緒に行くと即刻申し込みの電話を入れた。すでに定員一杯のようだったが、事情を話したら参加OKとなり、二人で聴いてきた。
http://www.cancer-jp.com/event/event_info/2096.html
その後、講師の橋本 伸之 著「がんを生きるための骨転移リテラシー」を買って読んだ。
骨に転移しても、直ちに命をおびやかすことはない。しかし骨がもろくなって骨折すると手術しても回復しないし、ボルトで固定しても前後で骨折するから意味がない。最も困るのは、背骨が脊髄を圧迫すると半身不随となり、寝たきり状態で床ずれを起こしたり排尿や排便も自力でできなくなる。特に排便は介護者が指を突っ込んでしなければならないから、人間の尊厳も踏みにじられる」
こんな話の箇所がずっと頭の隅に残っていて、脊髄圧迫だけはならないでくれと願いながら今日まで過ごしている。
4月から主治医が変わって、この脊髄圧迫に触れ、「癌の進行を止めることはできなくても、QOLを何とか維持できるよう、出来る事は何でもしましょう。特に脊髄圧迫はなんとか避けたい。必要ならエックス線処置もします。そのために背骨のMRI検査を受けて下さい」
ということで、初めてMRI検査なるものを体験してきた。
そのまえに骨シンチも検査していたのだが、結果の画像はチラリとしか見せてくれなかった。「転移がひどいので見ると悲観されるかもしれないので・・・」との弁だったが、私としてはひどいのは想定していたのでもっとじっくりと見て、出来ればプリントアウト出来ないかな思っていただけに残念だった。頭の骨にも黒い箇所が見えたので、「頭にも転移しているようですね」とつぶやくと「そうですね・・・」とそれ以上の説明は無し。頭蓋骨が脳を圧迫するようになったら、どんな症状が起きるんだろう、、、と新たな興味がわき起こる。
MRIの結果は、「背骨には懸念される個所はありませんでした」と告げられて、安堵する。しばらくは一番懸念していたことを考えなくてもよくなってQOLが維持できそうだ。
それにしても、MRIの音はすさまじい。ガー ヒュー ガリガリガリ とまるで工事現場の騒音そのものが入れ替わり長く短く耳を襲う。音だけでなくベッドごと小刻みに振動したりするものだから、この機械、油キレしてるんじゃないかと不安になっったり、正常な画像が撮れているのか疑いも抱いてしまう。
しかし主治医から「大丈夫でした」と告げられると、あの騒音も正常なんだと納得するものの、油キレの疑いは今もって抱いている。
http://www.cancer-jp.com/event/event_info/2096.html
その後、講師の橋本 伸之 著「がんを生きるための骨転移リテラシー」を買って読んだ。
骨に転移しても、直ちに命をおびやかすことはない。しかし骨がもろくなって骨折すると手術しても回復しないし、ボルトで固定しても前後で骨折するから意味がない。最も困るのは、背骨が脊髄を圧迫すると半身不随となり、寝たきり状態で床ずれを起こしたり排尿や排便も自力でできなくなる。特に排便は介護者が指を突っ込んでしなければならないから、人間の尊厳も踏みにじられる」
こんな話の箇所がずっと頭の隅に残っていて、脊髄圧迫だけはならないでくれと願いながら今日まで過ごしている。
4月から主治医が変わって、この脊髄圧迫に触れ、「癌の進行を止めることはできなくても、QOLを何とか維持できるよう、出来る事は何でもしましょう。特に脊髄圧迫はなんとか避けたい。必要ならエックス線処置もします。そのために背骨のMRI検査を受けて下さい」
ということで、初めてMRI検査なるものを体験してきた。
そのまえに骨シンチも検査していたのだが、結果の画像はチラリとしか見せてくれなかった。「転移がひどいので見ると悲観されるかもしれないので・・・」との弁だったが、私としてはひどいのは想定していたのでもっとじっくりと見て、出来ればプリントアウト出来ないかな思っていただけに残念だった。頭の骨にも黒い箇所が見えたので、「頭にも転移しているようですね」とつぶやくと「そうですね・・・」とそれ以上の説明は無し。頭蓋骨が脳を圧迫するようになったら、どんな症状が起きるんだろう、、、と新たな興味がわき起こる。
MRIの結果は、「背骨には懸念される個所はありませんでした」と告げられて、安堵する。しばらくは一番懸念していたことを考えなくてもよくなってQOLが維持できそうだ。
それにしても、MRIの音はすさまじい。ガー ヒュー ガリガリガリ とまるで工事現場の騒音そのものが入れ替わり長く短く耳を襲う。音だけでなくベッドごと小刻みに振動したりするものだから、この機械、油キレしてるんじゃないかと不安になっったり、正常な画像が撮れているのか疑いも抱いてしまう。
しかし主治医から「大丈夫でした」と告げられると、あの騒音も正常なんだと納得するものの、油キレの疑いは今もって抱いている。
2016年5月17日火曜日
VHSテープのデジタル化
イクスタンジを止めたので、診察の間隔が2週間毎から3週間に伸びた。イクスタンジの前の薬ザイティガから、肝機能障害を監視しなければならないから薬は2週間分しか処方できない、との理由で2週間毎だったのだ。
治療から痛み止めで過ごす日々に変わって、朝夕服用する痛み止めのベース薬、オキシコンチンの注意事項に「アルコールや車の運転は控える事」と書かれている。近頃薬の副作用で突然運転不能になり大きな事故を起こしているニュースを目にすると、他人事ではないと車の運転はしないことにした。味覚も悪くなり酒も美味しいと感じなくなったので飲まなくなった。
こうなると外出もしなくなり家でゴロゴロするしかないのだが、じっとしていられない性分なので、以前からやり遂げたいと思い続けていたVHSのビデオテープをPCに取り込んでDVDで残す作業に取り掛かった。娘たちの発表会で買いためたのやその他で30本くらいある。
ビデオデッキは2台ほどあったが、調子も悪かったし、DVDに変わってもう録画することはないからと処分していたから、新たに再生専用機を購入した。再生機からPCにUSB接続するビデオキャプチャーも購入した。
これで簡単にPCに取り込めると始めたのだが、画像や音がフリーズしたり、ブツブツ音が入ったり、走査線が乱れたりと、一筋縄ではいかない。原因を検索して調べるといろいろわかってきた。ビデオデッキのヘッドの取付がメーカーや機種によって微妙に違うため、録画したデッキと違う場合は素直に再生できないようだ。トラッキングを微調整して合わせてもなんらかの不満は解消されない。
デッキとPCをつなぐキャプチャー機器にも2種類あることを知った、先ほどのはPCのソフトで変換するタイプなので、PCの能力によってはフリーズを起こしやすいとの書き込みがあった。それならと変換してPCに送り込むタイプを探し、これも買った
これでも同じようなもので問題は解決しない。意地になって両方を入れ替えたり、Windows10用のドライバーを探してインストールしてみたり、トラッキング調整に時間をかけてみたりするなかで、”ダメなものはダメ”の見極めができ、妥協点がわかってきた。画像がフリーズを起こさないレベルで調整し、あとは目をつむることにした。
PCに取り込むのは最初に買ったソフトで変換するタイプのほうが使いやすい。そのあと使い慣れた Adobe Premiere Elements 12 で編集し、DVDやBlu-rayディスクに書き込んでいる。
まだ20本くらい残っているが、すべて出来るかどうかはわからないな。
治療から痛み止めで過ごす日々に変わって、朝夕服用する痛み止めのベース薬、オキシコンチンの注意事項に「アルコールや車の運転は控える事」と書かれている。近頃薬の副作用で突然運転不能になり大きな事故を起こしているニュースを目にすると、他人事ではないと車の運転はしないことにした。味覚も悪くなり酒も美味しいと感じなくなったので飲まなくなった。
こうなると外出もしなくなり家でゴロゴロするしかないのだが、じっとしていられない性分なので、以前からやり遂げたいと思い続けていたVHSのビデオテープをPCに取り込んでDVDで残す作業に取り掛かった。娘たちの発表会で買いためたのやその他で30本くらいある。
ビデオデッキは2台ほどあったが、調子も悪かったし、DVDに変わってもう録画することはないからと処分していたから、新たに再生専用機を購入した。再生機からPCにUSB接続するビデオキャプチャーも購入した。
これで簡単にPCに取り込めると始めたのだが、画像や音がフリーズしたり、ブツブツ音が入ったり、走査線が乱れたりと、一筋縄ではいかない。原因を検索して調べるといろいろわかってきた。ビデオデッキのヘッドの取付がメーカーや機種によって微妙に違うため、録画したデッキと違う場合は素直に再生できないようだ。トラッキングを微調整して合わせてもなんらかの不満は解消されない。
デッキとPCをつなぐキャプチャー機器にも2種類あることを知った、先ほどのはPCのソフトで変換するタイプなので、PCの能力によってはフリーズを起こしやすいとの書き込みがあった。それならと変換してPCに送り込むタイプを探し、これも買った
これでも同じようなもので問題は解決しない。意地になって両方を入れ替えたり、Windows10用のドライバーを探してインストールしてみたり、トラッキング調整に時間をかけてみたりするなかで、”ダメなものはダメ”の見極めができ、妥協点がわかってきた。画像がフリーズを起こさないレベルで調整し、あとは目をつむることにした。
PCに取り込むのは最初に買ったソフトで変換するタイプのほうが使いやすい。そのあと使い慣れた Adobe Premiere Elements 12 で編集し、DVDやBlu-rayディスクに書き込んでいる。
まだ20本くらい残っているが、すべて出来るかどうかはわからないな。
2016年4月29日金曜日
イクスタンジも止めました
最後の治療薬だったイクスタンジだが、「もうやめましょう」との主治医の言葉に「そうですね。バカ高くて効いてないのだから無駄ですね」と答えてあっさりと中止となった。
次なるは鎮痛剤に方向転換となる。
実は、前の主治医で処方して頂いた鎮痛薬のロキソニンが良く効いて、屯服として痛みが出た時に適時服用していたのだが、前回の診察を終えてから効きが悪くなり、痛みが消えなくなった。これはたまらんと1週間後に痛み止めの薬だけ処方してもった。
主治医の先生も、4月から担当されたばかりで過去のデータをパソコンで調べ、問診で状況を聞き、次なる鎮痛薬を処方してくださった。
「ロキソニンは副作用の軽い一般的な鎮痛薬ですが、これからはモルヒネの癌鎮痛薬も併用します」ということで数種類の薬を処方されたのだが、飲む順番や副作用回避の薬もあり、早口に説明されてあわれてメモを取ろうとすると、「次の患者さんが待っておられるので時間をかけられないから看護師さんが後ほど説明します」と言われて診察室を出た。
処方されたのは、
ベース薬として・・・オキシコンチン錠5mg(モルヒネ系)を朝夕食後Ⅰ錠を2回
レスキュー薬(屯服)として・・・①ロキソニン錠60mg+ムスコタ錠100mg(胃の荒れ止め)、②オキノーム散2.5mg(モルヒネ系、30分ごとに追加可)
その他、オキシコンチンの副作用に便秘や吐き気があるので、ノバミン錠5mg(酔い止め薬)、マグミット錠330mg(便秘薬)も処方された。
効果はてきめんだった。まず食後にオキシコンチンを飲む。痛みが治まらないのでオキノームを飲んでしまったのだが痛みは治まらない。順番を間違えたことに気づいてロキソニンを飲むと痛みは消えた。今は12時間くらい効いているから1日2錠で済んでいるが、効きが悪くなるとロキソニンを1日3回に増やし、さらに痛みが取れなければオキノームを飲み足すという手順だ。
再び痛みの回避はできるようになったが、治療からホスピスへと方向転換しつつあると思うと、終末もそう遠くないと自覚する今日この頃である。
次なるは鎮痛剤に方向転換となる。
実は、前の主治医で処方して頂いた鎮痛薬のロキソニンが良く効いて、屯服として痛みが出た時に適時服用していたのだが、前回の診察を終えてから効きが悪くなり、痛みが消えなくなった。これはたまらんと1週間後に痛み止めの薬だけ処方してもった。
主治医の先生も、4月から担当されたばかりで過去のデータをパソコンで調べ、問診で状況を聞き、次なる鎮痛薬を処方してくださった。
「ロキソニンは副作用の軽い一般的な鎮痛薬ですが、これからはモルヒネの癌鎮痛薬も併用します」ということで数種類の薬を処方されたのだが、飲む順番や副作用回避の薬もあり、早口に説明されてあわれてメモを取ろうとすると、「次の患者さんが待っておられるので時間をかけられないから看護師さんが後ほど説明します」と言われて診察室を出た。
処方されたのは、
ベース薬として・・・オキシコンチン錠5mg(モルヒネ系)を朝夕食後Ⅰ錠を2回
レスキュー薬(屯服)として・・・①ロキソニン錠60mg+ムスコタ錠100mg(胃の荒れ止め)、②オキノーム散2.5mg(モルヒネ系、30分ごとに追加可)
その他、オキシコンチンの副作用に便秘や吐き気があるので、ノバミン錠5mg(酔い止め薬)、マグミット錠330mg(便秘薬)も処方された。
効果はてきめんだった。まず食後にオキシコンチンを飲む。痛みが治まらないのでオキノームを飲んでしまったのだが痛みは治まらない。順番を間違えたことに気づいてロキソニンを飲むと痛みは消えた。今は12時間くらい効いているから1日2錠で済んでいるが、効きが悪くなるとロキソニンを1日3回に増やし、さらに痛みが取れなければオキノームを飲み足すという手順だ。
再び痛みの回避はできるようになったが、治療からホスピスへと方向転換しつつあると思うと、終末もそう遠くないと自覚する今日この頃である。
2016年4月18日月曜日
主治医が変わった
3月末の診察で退室際に、「次回はここに座っている先生が変わっていると思っていてください」と言われた。遠回しな言い方だったので、次回は休診のため代診の先生が担当されるのか、外来担当でなくなるのかがあやふやに思ったのだが、診察室を出て看護師さんが、「先生はああいう言い方をされましたが、病院を変わられます」とのこと。
最初からずっと同じ先生で、相性は悪くないと安心して頼っていたでけに残念な気もあり、一方で主治医が変わって治療方針が変わるかな?という興味もあった。そんな興味を持ちながら診察室に入ったのだが、温厚な顔の先生だったので緊張感が解けた。
いろいろ質問された。パソコンにこれまでのデータは入っているが、言葉のやり取りでどんな患者かを知りたいという先生の姿勢が見て取れた。前の先生とは違うタイプだ。
「骨シンチの検査は最近していないのですか?」「最初の1回だけです」。骨シンチの検査は、年1回はしなくてもいいのかなとずっと思っていたが、前の先生はその気はなさそうだったので2度も必要ないのかなと思っていた。「では再度検査をしましょう」ということで翌日検査を受けてきた。
「癌の進行は止められないけれど、大切なのはQOLであって、骨の進行を放置すれば大変なことになります。QOLの妨げになる個所にはエックス線治療も必要です。
また、「ホルモン注射はしてないのですか?」「最初にしましたが、数値が上昇して薬が変わった時点で止めました」「なにか続けられない理由があるのですか?」「別にないです。副作用もなかったし。前の先生が効かなくなったからと言って中止になりました」「癌細胞の中にはまだホルモン治療に効く細胞がいるかもしれない。少しの可能性でもやってみる価値はあります。やれることはなんでもやりましょう」と言うことで、次回からホルモン注射が増えることとなりました。
これまで診察室で検査結果を聞いて終わりで5分程度だったから、今回の診察は新鮮だった。20分近く会話していたように思う。う~ん、やはり今度の先生のほうがお医者さんらしいな、と次回が楽しみになった。
最初からずっと同じ先生で、相性は悪くないと安心して頼っていたでけに残念な気もあり、一方で主治医が変わって治療方針が変わるかな?という興味もあった。そんな興味を持ちながら診察室に入ったのだが、温厚な顔の先生だったので緊張感が解けた。
いろいろ質問された。パソコンにこれまでのデータは入っているが、言葉のやり取りでどんな患者かを知りたいという先生の姿勢が見て取れた。前の先生とは違うタイプだ。
「骨シンチの検査は最近していないのですか?」「最初の1回だけです」。骨シンチの検査は、年1回はしなくてもいいのかなとずっと思っていたが、前の先生はその気はなさそうだったので2度も必要ないのかなと思っていた。「では再度検査をしましょう」ということで翌日検査を受けてきた。
「癌の進行は止められないけれど、大切なのはQOLであって、骨の進行を放置すれば大変なことになります。QOLの妨げになる個所にはエックス線治療も必要です。
また、「ホルモン注射はしてないのですか?」「最初にしましたが、数値が上昇して薬が変わった時点で止めました」「なにか続けられない理由があるのですか?」「別にないです。副作用もなかったし。前の先生が効かなくなったからと言って中止になりました」「癌細胞の中にはまだホルモン治療に効く細胞がいるかもしれない。少しの可能性でもやってみる価値はあります。やれることはなんでもやりましょう」と言うことで、次回からホルモン注射が増えることとなりました。
これまで診察室で検査結果を聞いて終わりで5分程度だったから、今回の診察は新鮮だった。20分近く会話していたように思う。う~ん、やはり今度の先生のほうがお医者さんらしいな、と次回が楽しみになった。
2016年4月9日土曜日
免許証の更新
自動車運転免許証の更新を済ませた。ゴールド免許での更新は3回連続だ。車を運転していったので、念のために痛み止めを飲んでから出かけた。
前回の更新から視力の低下を感じていて、でも長いこと両目とも1.5だったせいでメガネはどうしてもかけたくない。そんな懸念をもちながらも前回はあっけなくパス。老眼だから、遠くが見えれば”メガネをかけなさい”とは言われないのだと思った。
今回は癌治療中でもあり疲れた時などは新聞の文字もかすんで読めないくらい老眼も進んでいるから、”メガネが必要”と突き返されるかと懸念していたが、左右両目とも迷うことなくすべて丸の切れ目が判別でき、あっけなくパスした。
もう一つ懸念していたのが、現在の病気について質問されて、前立腺がんの治療中であり治療薬を飲み続けていることが更新の妨げにならないか、ということ。しかしそんな質問などなかったが、「質問票」なるものがあり提出させられた。「はい」「いいえ」のどちらかにチェックを入れるだけのものだが、恐る恐る読み進めてチェックをいれると、すべて「いいえ」となった。医師から運転をやめるよう指示されたり、運転するにあたっての服用の注意をうけているか、との質問で考え込んだが、そんな注意をうけたことは一度もないし、運転中でも日々の生活でも危険を感じる自覚症状に遭遇したこともないので、これも「いいえ」にチェックを入れた。
実はこの「質問票」は法律で定められたもので、虚偽の記載や報告をした者は「1年以下の懲役または30万円以下の罰金」に罰せられるのだと講習の中で知った。近年、薬や病気による重大な事故が問題となって、この法律が定められたらしい。
改めて質問内容を思い返してみて、どれも虚偽の記載などしていないぞ、と思いながらも一抹の不安を感じるのだが、どのみち運転を控えるようにしているし、運転出来ないような状態に進んでいくのだから、免許証を手にした今、どうでもいいや、と気にしないことにしている。
前回の更新から視力の低下を感じていて、でも長いこと両目とも1.5だったせいでメガネはどうしてもかけたくない。そんな懸念をもちながらも前回はあっけなくパス。老眼だから、遠くが見えれば”メガネをかけなさい”とは言われないのだと思った。
今回は癌治療中でもあり疲れた時などは新聞の文字もかすんで読めないくらい老眼も進んでいるから、”メガネが必要”と突き返されるかと懸念していたが、左右両目とも迷うことなくすべて丸の切れ目が判別でき、あっけなくパスした。
もう一つ懸念していたのが、現在の病気について質問されて、前立腺がんの治療中であり治療薬を飲み続けていることが更新の妨げにならないか、ということ。しかしそんな質問などなかったが、「質問票」なるものがあり提出させられた。「はい」「いいえ」のどちらかにチェックを入れるだけのものだが、恐る恐る読み進めてチェックをいれると、すべて「いいえ」となった。医師から運転をやめるよう指示されたり、運転するにあたっての服用の注意をうけているか、との質問で考え込んだが、そんな注意をうけたことは一度もないし、運転中でも日々の生活でも危険を感じる自覚症状に遭遇したこともないので、これも「いいえ」にチェックを入れた。
実はこの「質問票」は法律で定められたもので、虚偽の記載や報告をした者は「1年以下の懲役または30万円以下の罰金」に罰せられるのだと講習の中で知った。近年、薬や病気による重大な事故が問題となって、この法律が定められたらしい。
改めて質問内容を思い返してみて、どれも虚偽の記載などしていないぞ、と思いながらも一抹の不安を感じるのだが、どのみち運転を控えるようにしているし、運転出来ないような状態に進んでいくのだから、免許証を手にした今、どうでもいいや、と気にしないことにしている。
2016年3月30日水曜日
痛みにも山あり谷ありのようで
ここ2週間ほど嘘のような日々が過ごせた。
年明けから腰や足や背中やの痛みがどこかにあり、時々痛み止めのお世話になったして過ごしてきたのが、急に鈍い痛みさえなくなって動き回るのが楽になった。
自転車も、乗って進んでいるのは問題ないのだが、止まって片足をつくときや降りるとき片足で踏ん張るのが痛くて倒れそうになるのが怖くて控えていたが、問題なく乗れるようになった。
パンツやズボンをはくときは片足立ちして足が上がらないので腰を下ろしてはいていたのが、立ちながらはくことも出来るまで戻った。
痛みがあると不機嫌になり、保育園から帰ってきた孫の子守も放棄しがちになり、家族にも小言を言っては嫌われてること多かれだが、それもなくなり主夫の務めが積極的にできるまで戻った。
そんなさなかに受診日があり、PSAは現状維持か下がっているかもね、とかすかな期待を込めて出かけたのだが、結果はPSAもALPも上昇! が~んと暗くなる。主治医も暗そうな表情だ。
抗がん剤治療はしないと言い張っているし、保険外の先端医薬や医療は金銭的に無理だというのはこれまでの診察で理解されているから、次なる打つ手なし、の患者に対するジレンマかもしれないのかな。
「イクスタンジはもう効いていないようですからやめたほうがいいですか?」と問うと「多少でも効いているはずだから止めたらもっと数値があがるでしょうね」
ということでイクスタンジは継続。
話は戻って、痛みがなくなると色々動きも変わります。サボりながらも明かるくなってから申し訳なさそうに家を出て30分程度しか歩けなかったのが、1時間30分程度まで歩けるように戻り、ストレッチにも熱が入る。グラタラな日々で衰えた筋力を戻そうと頑張りだす。
そのせいなのか数値が上昇しているからなのかはわからないが、再びあちこちが痛み出して痛み止めを飲む羽目になる。
「痛み止めが効いて楽になるから動き回って、その結果悪化しているのでしょうね。やはり痛くなくても静かに安静にしていたほうがいいのでしょうね」と主治医に話すと、「違います。我々が考えるのは、出来るときになんでもやっておくべきです」との返答。
そうなんだぁ、、、間違いなく悪化の道を進むのだから、、、動くことが次第に困難になるのだから、、、痛みに耐えて不機嫌な日々を送るより、痛み止めを大いに活用して出来る範囲のやりたいことを、今しておくべきなんだ、と思い直した次第です。
年明けから腰や足や背中やの痛みがどこかにあり、時々痛み止めのお世話になったして過ごしてきたのが、急に鈍い痛みさえなくなって動き回るのが楽になった。
自転車も、乗って進んでいるのは問題ないのだが、止まって片足をつくときや降りるとき片足で踏ん張るのが痛くて倒れそうになるのが怖くて控えていたが、問題なく乗れるようになった。
パンツやズボンをはくときは片足立ちして足が上がらないので腰を下ろしてはいていたのが、立ちながらはくことも出来るまで戻った。
痛みがあると不機嫌になり、保育園から帰ってきた孫の子守も放棄しがちになり、家族にも小言を言っては嫌われてること多かれだが、それもなくなり主夫の務めが積極的にできるまで戻った。
そんなさなかに受診日があり、PSAは現状維持か下がっているかもね、とかすかな期待を込めて出かけたのだが、結果はPSAもALPも上昇! が~んと暗くなる。主治医も暗そうな表情だ。
抗がん剤治療はしないと言い張っているし、保険外の先端医薬や医療は金銭的に無理だというのはこれまでの診察で理解されているから、次なる打つ手なし、の患者に対するジレンマかもしれないのかな。
「イクスタンジはもう効いていないようですからやめたほうがいいですか?」と問うと「多少でも効いているはずだから止めたらもっと数値があがるでしょうね」
ということでイクスタンジは継続。
話は戻って、痛みがなくなると色々動きも変わります。サボりながらも明かるくなってから申し訳なさそうに家を出て30分程度しか歩けなかったのが、1時間30分程度まで歩けるように戻り、ストレッチにも熱が入る。グラタラな日々で衰えた筋力を戻そうと頑張りだす。
そのせいなのか数値が上昇しているからなのかはわからないが、再びあちこちが痛み出して痛み止めを飲む羽目になる。
「痛み止めが効いて楽になるから動き回って、その結果悪化しているのでしょうね。やはり痛くなくても静かに安静にしていたほうがいいのでしょうね」と主治医に話すと、「違います。我々が考えるのは、出来るときになんでもやっておくべきです」との返答。
そうなんだぁ、、、間違いなく悪化の道を進むのだから、、、動くことが次第に困難になるのだから、、、痛みに耐えて不機嫌な日々を送るより、痛み止めを大いに活用して出来る範囲のやりたいことを、今しておくべきなんだ、と思い直した次第です。
2016年3月12日土曜日
久しぶりのハマチ
久しぶりにハマチをさばいた。海温異常のせいか、ここしばらくいつものスーパーでお目にかからなかったのだが、久しぶりに並んでいたので食べたくなって買ってきたと妻が言う。
いつもなら長女が帰ってきて美味しそうに食べるからさばいていたのだが、今回は「刺身で一杯」を楽しもうと晩酌ならぬ昼酌を楽しんだ。
今回の血液検査では、初めて肝臓の数値(LDH)が249と上限を超えた(下限値117-上限値236)。こんなのを見ると、酒もまずくなるものだ。薬がザイティガに変わるとき「肝臓の副作用を監視しなければならない薬だから」ということでそれまで月一回の診察だったのが2週間毎になったいきさつがある。イクスタンジも同様の副作用があるので、酒のせいではないだろうと思うことにしている。
カルシウム値も8.5とこれまたはじめて下限値を下回ってきた(下限値8.8-上限値10.2)。が、主治医はこれらの数値には関心がないようで、骨の数値ALPが1712まで跳ね上がったことに危惧している。かといってもう対処の方法は無いのでなりゆきまかせでイクスタンジと注射を継続となる。
緩和病床の見学後は、痛み止めの薬はほとんど飲まなくて過ごしている。腰や足に鈍い痛みや、からだをねじるとき背中に筋肉痛のような痛みを感じるものの、家の中で家事をこなせるので良しとしよう。体重も62kg前後を維持しているし。
体力も落ちてきているから、起きているとすぐに疲れるので寝たり起きたりして一日を過ごしている。ウォーキングも毎日は出なくなったが、時折出かけるようにしている。なんとも贅沢な日々を過ごしているものだと、家人に申し訳なく思いながら。
いつもなら長女が帰ってきて美味しそうに食べるからさばいていたのだが、今回は「刺身で一杯」を楽しもうと晩酌ならぬ昼酌を楽しんだ。
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1本の1/4でこれだけ。腹身の部分をペロリとたいらげた。 |
今回の血液検査では、初めて肝臓の数値(LDH)が249と上限を超えた(下限値117-上限値236)。こんなのを見ると、酒もまずくなるものだ。薬がザイティガに変わるとき「肝臓の副作用を監視しなければならない薬だから」ということでそれまで月一回の診察だったのが2週間毎になったいきさつがある。イクスタンジも同様の副作用があるので、酒のせいではないだろうと思うことにしている。
カルシウム値も8.5とこれまたはじめて下限値を下回ってきた(下限値8.8-上限値10.2)。が、主治医はこれらの数値には関心がないようで、骨の数値ALPが1712まで跳ね上がったことに危惧している。かといってもう対処の方法は無いのでなりゆきまかせでイクスタンジと注射を継続となる。
緩和病床の見学後は、痛み止めの薬はほとんど飲まなくて過ごしている。腰や足に鈍い痛みや、からだをねじるとき背中に筋肉痛のような痛みを感じるものの、家の中で家事をこなせるので良しとしよう。体重も62kg前後を維持しているし。
体力も落ちてきているから、起きているとすぐに疲れるので寝たり起きたりして一日を過ごしている。ウォーキングも毎日は出なくなったが、時折出かけるようにしている。なんとも贅沢な日々を過ごしているものだと、家人に申し訳なく思いながら。
2016年2月27日土曜日
緩和ケア病床の見学
緩和ケア病床のある二つの病院に予約を入れ、妻と二人で見学してきた。驚いたのは、どちらも何て綺麗で明るく静かで清潔なフロアなんだろうということ。
これまで私は入院の経験はないが、お見舞いは多くある。たいがいカーテンで仕切られた数人のベッドが並ぶ大部屋のお見舞いだったから、そのフロアの通路には酸素ボンベや配膳のワゴン、シーツの入れ替えワゴンなど等が雑多にあり、看護師さんがせわしく行きかっている光景しか遭遇していない。ところがこの緩和ケア病床のあるフロアは、何も置かれていないスカッとした通路に、個室の扉が並んでいる。
完治を目指す治療ではなく、末期の患者をいかに安楽に過ごせるか、をコンセプトにしているのがすぐに理解できた。
最初に見学した病院は、無料個室7室、有料個室6室、特別室1室とパンフレットに書かれている。たまたま有料個室に空きがあったので室内の見学ができた。ベッドの周りにゆったりとした空間があり、付き添い人も寝泊りできる。洋式トイレにシャワー室まである。インターネットもLAN端子があるのでパソコンの持ち込みも出来る。また共同の設備として家族やお見舞いの人との談話室やキッチンもあり、病院食以外でも好きなものを調理して食べることもできる。ウッドデッキもあって屋外の空気を吸うことも出来る。一時帰宅も自由だという。無料部屋でこんなところに入院できたら快適な日々が過ごせると思った。
次に見学した病院でも、緩和ケア病床のあるフロアは同じ感想だった。満室のため室内の見学はできなかったが、扉の開いている部屋の外を通過しながら前日に見学した病院の部屋とほぼ同じという印象だった。また、キッチンつきの広い談話室ではボランティアによる喫茶や音楽などのイベントも催されるという。
快適な入院生活が送れると思える緩和ケア病床だが、簡単には入院できない。手順がある。
まず面談がある。これは主治医に申し出れば、院内にある地域医療福祉連携室の方が、必要な診察データなどを送ったり面談の日を設定してくださるようで、自分で手続きに動き回る必要はないようだ。面談して登録が済む。しかしこれで入院可能なわけではない。入院は登録順ではなく、空き室が出た時点で登録者を審査し、入院の優先度が高い人からの順になる。早い話、激痛がひどい人や末期に近い人が優先されるわけで、パソコンしたりキッチンを利用して快適に過ごせるレベルではまず無理だろう。二日目に見学した病院は、14床すべてが無料の個室のためか、現在100名ほどの登録者があるとのこと。そして面談の日も3月の予定はいっぱいで、4月のスケジュールが組まれないと日は決められないという状態。
高齢化が進むにつれて緩和ケア医療を必要とする患者は増え続けるだろうから、病院も病床を増やしたり新設したりしていくと思う。しかし追いつかないだろう。有料個室で料金の高い個室ほど入院できる確率は高いだろうが。
これまで私は入院の経験はないが、お見舞いは多くある。たいがいカーテンで仕切られた数人のベッドが並ぶ大部屋のお見舞いだったから、そのフロアの通路には酸素ボンベや配膳のワゴン、シーツの入れ替えワゴンなど等が雑多にあり、看護師さんがせわしく行きかっている光景しか遭遇していない。ところがこの緩和ケア病床のあるフロアは、何も置かれていないスカッとした通路に、個室の扉が並んでいる。
完治を目指す治療ではなく、末期の患者をいかに安楽に過ごせるか、をコンセプトにしているのがすぐに理解できた。
最初に見学した病院は、無料個室7室、有料個室6室、特別室1室とパンフレットに書かれている。たまたま有料個室に空きがあったので室内の見学ができた。ベッドの周りにゆったりとした空間があり、付き添い人も寝泊りできる。洋式トイレにシャワー室まである。インターネットもLAN端子があるのでパソコンの持ち込みも出来る。また共同の設備として家族やお見舞いの人との談話室やキッチンもあり、病院食以外でも好きなものを調理して食べることもできる。ウッドデッキもあって屋外の空気を吸うことも出来る。一時帰宅も自由だという。無料部屋でこんなところに入院できたら快適な日々が過ごせると思った。
次に見学した病院でも、緩和ケア病床のあるフロアは同じ感想だった。満室のため室内の見学はできなかったが、扉の開いている部屋の外を通過しながら前日に見学した病院の部屋とほぼ同じという印象だった。また、キッチンつきの広い談話室ではボランティアによる喫茶や音楽などのイベントも催されるという。
快適な入院生活が送れると思える緩和ケア病床だが、簡単には入院できない。手順がある。
まず面談がある。これは主治医に申し出れば、院内にある地域医療福祉連携室の方が、必要な診察データなどを送ったり面談の日を設定してくださるようで、自分で手続きに動き回る必要はないようだ。面談して登録が済む。しかしこれで入院可能なわけではない。入院は登録順ではなく、空き室が出た時点で登録者を審査し、入院の優先度が高い人からの順になる。早い話、激痛がひどい人や末期に近い人が優先されるわけで、パソコンしたりキッチンを利用して快適に過ごせるレベルではまず無理だろう。二日目に見学した病院は、14床すべてが無料の個室のためか、現在100名ほどの登録者があるとのこと。そして面談の日も3月の予定はいっぱいで、4月のスケジュールが組まれないと日は決められないという状態。
高齢化が進むにつれて緩和ケア医療を必要とする患者は増え続けるだろうから、病院も病床を増やしたり新設したりしていくと思う。しかし追いつかないだろう。有料個室で料金の高い個室ほど入院できる確率は高いだろうが。
2016年2月20日土曜日
痛み止め(頓服薬)が必要になりました
足腰が痛くなっても、3日ほど寝込んで安静にしていたら急に痛みも取れて動けるようになっていたものだが、1週間以上も続くようになった。左足は毎度の事痛むのだが、右足も痛み出した。背中も体をひねると痛い。
寝ていた起き上がるのにも一苦労だ。伸ばした足に手を添えて膝を立ててやり、じわ~と体をねじって四つん這いになり、椅子や机に手をかけて体を引き上げるようにしてやっと立ち上がれる。じっと立っていても椅子に腰かけていても寝ていても同じ姿勢を長く保つのがつらい。歩いているほうが楽なくらいだ。
耐えていてももう治りそうにないと、痛み止めを初めて飲んだ。
今年の初めに痛い日が続いていたので、主治医にお願いして屯服として痛み止めを処方してもらっていたのだが、その後落ち着いたので飲まずに過ごせていた。しかし長く痛みが続くと、食事ものどを通らず体重も5kgほど落ちていた。薬はできるだけ飲みたくないのが心情だが、思い余って飲んでみた。
飲んで徐々に痛みは消え、1時間経過したくらいからあの足腰の痛みは嘘だったのかと思えるくらい楽になった。10時間過ぎると効果は消えるのか、徐々に痛み出してくる。しばらく様子を見ようと12時間経過してまた飲む。楽になる。4錠くらい繰り返すと、効果が切れても飲まずに過ごせそうなくらい落ち着いたので飲むのをやめた。数日後また左足あたりがひどくはないが痛むのでまた飲む。
痛みがなければ食べられるし体重も元に戻った。本を持って胡坐をかいた足にチョコンと座りに来る孫の相手もしてやれる。今回の受診時にお願いして2週間分の痛み止めも追加してもらった。痛みに耐えて過ごすのは面白くない。今後はこの繰り返しで日々過ごすことになろう。
寝ていた起き上がるのにも一苦労だ。伸ばした足に手を添えて膝を立ててやり、じわ~と体をねじって四つん這いになり、椅子や机に手をかけて体を引き上げるようにしてやっと立ち上がれる。じっと立っていても椅子に腰かけていても寝ていても同じ姿勢を長く保つのがつらい。歩いているほうが楽なくらいだ。
耐えていてももう治りそうにないと、痛み止めを初めて飲んだ。
ムコスタ錠100mg(胃の荒れ止めとして) ロキソニン錠60mg(痛み止め) 各Ⅰ錠を疼痛時にのむ。6時間以上は開ける事。 |
飲んで徐々に痛みは消え、1時間経過したくらいからあの足腰の痛みは嘘だったのかと思えるくらい楽になった。10時間過ぎると効果は消えるのか、徐々に痛み出してくる。しばらく様子を見ようと12時間経過してまた飲む。楽になる。4錠くらい繰り返すと、効果が切れても飲まずに過ごせそうなくらい落ち着いたので飲むのをやめた。数日後また左足あたりがひどくはないが痛むのでまた飲む。
痛みがなければ食べられるし体重も元に戻った。本を持って胡坐をかいた足にチョコンと座りに来る孫の相手もしてやれる。今回の受診時にお願いして2週間分の痛み止めも追加してもらった。痛みに耐えて過ごすのは面白くない。今後はこの繰り返しで日々過ごすことになろう。
2016年2月7日日曜日
再び、わけわからん
年明けから左足や腰が痛み出して寝込む日々が続いたから、PSA値は上昇しているだろうと観念していたらわずかだが下がっていた。その後次の診察ではすっかり楽になっていたから、PSA値はさらに下がっているかな?と期待していたら上昇している。骨のALP値は1000を超えた。
「緩和ケア病院のことも考えていたほうがいいんじゃないでしょうか」と主治医は言う。緩和ケァという言葉は知っていたが、具体的なことは知らない。「どういうことですか」と質問する。
「痛みや不安で苦しむのを和らげ終末を迎える治療が目的の病院で、基本的に病を治す治療はしない。病院によっては院内に緩和ケァチームを組んで治療に取り組んでいる病院もある」とのこと。
ここの病院にはないのですかと問うと、「ない」とのこと。あくまで治療が目的で、点滴や手術なりの延命治療のための病院だから、治療拒否の患者や治療の手立てのない患者向きでは無いようだ。ただ「院内にそういったことの相談できる窓口があるので、状況を伝えておきまから相談に行ってください」ということで、終わった後聞いてきた。
京都府下で緩和病床をもつ病院のリストをいただいたのだが、たったの10病院しか無いようだ。各病院とも病床数は少なく、14床から30床程度、その中に有料の室料もあり、高いところだと1日2万円を超えるのもある。緩和ケァ治療にも国民健康保険は適用されるようだが、室料も保険適用となる病床数は半分にも満たない。保険適用の部屋となれば予約待ち状態ですぐにというのはむつかしそうだ。とりあえず次回の診察で、近くの病院に紹介状を書いてもらって下見をしようということで帰った。
次の受診日1週間前くらいからまた腰や背中や、これまで違和感のなかった右足まで痛み出して寝込む日々だった。診察日にはそこそこ回復していたものの、こんどこそ数値は上昇しているだろうし、緩和ケァ病院の紹介状をかいてもらおうと望んだら、前回よりわずかだが下がっている、骨のALP値までさがっているではないか。
「どうして痛み出して悪化している症状では下がって、回復して元気になったら数値が上がるのですか」と主治医に問うと、「わかりません」と苦笑いするだけ。「まぁ、これくらいの変動は誤差の範囲内ということで、、、ステロイド剤のプレドニゾロンの副作用かもしれないし、、、」とのこと。
数値が下がっているし痛みも回復しているので、イクスタンジは継続、緩和ケァ病院の紹介状は次回の様子を見て、ということで終わった。
癌の進行は進んでいるだろうと体調から実感できるが、この先どう変化していくのだろうとやきもきする日々ながら、とりあえず今はまぁ何事もなく過ごしている。
「緩和ケア病院のことも考えていたほうがいいんじゃないでしょうか」と主治医は言う。緩和ケァという言葉は知っていたが、具体的なことは知らない。「どういうことですか」と質問する。
「痛みや不安で苦しむのを和らげ終末を迎える治療が目的の病院で、基本的に病を治す治療はしない。病院によっては院内に緩和ケァチームを組んで治療に取り組んでいる病院もある」とのこと。
ここの病院にはないのですかと問うと、「ない」とのこと。あくまで治療が目的で、点滴や手術なりの延命治療のための病院だから、治療拒否の患者や治療の手立てのない患者向きでは無いようだ。ただ「院内にそういったことの相談できる窓口があるので、状況を伝えておきまから相談に行ってください」ということで、終わった後聞いてきた。
京都府下で緩和病床をもつ病院のリストをいただいたのだが、たったの10病院しか無いようだ。各病院とも病床数は少なく、14床から30床程度、その中に有料の室料もあり、高いところだと1日2万円を超えるのもある。緩和ケァ治療にも国民健康保険は適用されるようだが、室料も保険適用となる病床数は半分にも満たない。保険適用の部屋となれば予約待ち状態ですぐにというのはむつかしそうだ。とりあえず次回の診察で、近くの病院に紹介状を書いてもらって下見をしようということで帰った。
次の受診日1週間前くらいからまた腰や背中や、これまで違和感のなかった右足まで痛み出して寝込む日々だった。診察日にはそこそこ回復していたものの、こんどこそ数値は上昇しているだろうし、緩和ケァ病院の紹介状をかいてもらおうと望んだら、前回よりわずかだが下がっている、骨のALP値までさがっているではないか。
「どうして痛み出して悪化している症状では下がって、回復して元気になったら数値が上がるのですか」と主治医に問うと、「わかりません」と苦笑いするだけ。「まぁ、これくらいの変動は誤差の範囲内ということで、、、ステロイド剤のプレドニゾロンの副作用かもしれないし、、、」とのこと。
数値が下がっているし痛みも回復しているので、イクスタンジは継続、緩和ケァ病院の紹介状は次回の様子を見て、ということで終わった。
癌の進行は進んでいるだろうと体調から実感できるが、この先どう変化していくのだろうとやきもきする日々ながら、とりあえず今はまぁ何事もなく過ごしている。
2016年1月15日金曜日
年の初めは・・・・
昨年の元旦は冬らしい寒さだったが、今年の元旦は冬らしくない寒さだった。
それでも初日の出の写真を撮ろうと出かけたのだが、どんよりとした空で写真になる絵ではないとあきらめた。鳥が編隊を組んで北に飛んでいくのに出会って、それを収めた。初日も登りきった帰路、菜の花が咲いていた。まだ冬だぞ!
1月3日に左足と腰が痛くなりだして動くのがつらくなった。年末から保育園が休みになって、1歳半の孫娘を抱っこしたり、あぐらをかいて座らせ絵本を読んだり、行動を監視したりで、腰に負担をかけたのが原因かもしれない。翌日4日は一日中寝転んですごした。
年の終わりの仕事でも疲れて寝込んだが、1日寝込めば徐々に動けるように回復したものだが、今回の痛みは刺すような痛みで、何日寝ても痛みは消えず続いた。そして今年最初の受診日を迎えた。
イクスタンジも全く効かなくなってPSA値は間違いなく上昇しているだろう。500を超えているかもしれない。そうなれば薬は止めると言われるだろう。抗癌剤はしないと言っているから、その後の治療はどうなるのか、痛みや体調がどの程度まで進めば入院と言うことになるのか、など聞いておかなければいけないことを思い浮かべながら診察に臨んだ。主治医はどんな顔をして迎えてくれるのだろう。
浮かない顔で「どうですか」と問うので、「3日から足腰が痛くて寝込んでます」と答える。「数値、どうなってます?」と問うと「う~ん、まぁ」と煮え切らないので検査値表をチラッと見ると、前回と同じくらいなのにびっくり。
「足腰痛くなって悪化しているのに、なんで数値は前回と同じくらいなんですか」と思わず詰め寄ると「数値はあくまで目安ですからね。PSA値が高止まりしているといろんな症状が出てもおかしくないです。癌細胞が血液に入りこんで肺に達すると、突然呼吸困難で倒れることもありますし」とのこと。
入室前に考えていた質問は、「このままイクスタンジで粘るしかないですね」という主治医の言葉でおあずけとなり、5分程度で診察室をでた。
足腰が痛み出すと食事も酒も拒否しがちになって体力も気力も落ちていた。診察が終わった帰り道、肩透かしをくらったことで急にギョーザが食べたくなり、寄り道をして生ビールにギョーザで食欲を満たして帰ってきた。
それでも初日の出の写真を撮ろうと出かけたのだが、どんよりとした空で写真になる絵ではないとあきらめた。鳥が編隊を組んで北に飛んでいくのに出会って、それを収めた。初日も登りきった帰路、菜の花が咲いていた。まだ冬だぞ!
| 1月1日撮影 (左)6時40分頃 (右)7時30分頃 |
年の終わりの仕事でも疲れて寝込んだが、1日寝込めば徐々に動けるように回復したものだが、今回の痛みは刺すような痛みで、何日寝ても痛みは消えず続いた。そして今年最初の受診日を迎えた。
イクスタンジも全く効かなくなってPSA値は間違いなく上昇しているだろう。500を超えているかもしれない。そうなれば薬は止めると言われるだろう。抗癌剤はしないと言っているから、その後の治療はどうなるのか、痛みや体調がどの程度まで進めば入院と言うことになるのか、など聞いておかなければいけないことを思い浮かべながら診察に臨んだ。主治医はどんな顔をして迎えてくれるのだろう。
浮かない顔で「どうですか」と問うので、「3日から足腰が痛くて寝込んでます」と答える。「数値、どうなってます?」と問うと「う~ん、まぁ」と煮え切らないので検査値表をチラッと見ると、前回と同じくらいなのにびっくり。
「足腰痛くなって悪化しているのに、なんで数値は前回と同じくらいなんですか」と思わず詰め寄ると「数値はあくまで目安ですからね。PSA値が高止まりしているといろんな症状が出てもおかしくないです。癌細胞が血液に入りこんで肺に達すると、突然呼吸困難で倒れることもありますし」とのこと。
入室前に考えていた質問は、「このままイクスタンジで粘るしかないですね」という主治医の言葉でおあずけとなり、5分程度で診察室をでた。
足腰が痛み出すと食事も酒も拒否しがちになって体力も気力も落ちていた。診察が終わった帰り道、肩透かしをくらったことで急にギョーザが食べたくなり、寄り道をして生ビールにギョーザで食欲を満たして帰ってきた。
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